「私… ずっと一緒だもん… ずっと見てるもん…」
「だってしおりちゃんは…」
「コルルの本当にやさしいおねーちゃんだもん…」
「…ガッシュ…」
「魔界にやさしい王様がいてくれたら…」
「こんな… つらい戦いはしなくてよかったのかな…?」
プロフィール
本の色 | ピンク |
---|---|
術属性 | 強化 |
人間換算年齢 | 6歳 |
好きな食べ物 | 魚、ホットケーキ、牛乳 |
趣味 | ティーナ遊び、しおりと遊ぶこと |
魔界から降り立った場所 | 日本 |
家族構成(※注1) | 父・母・弟 |
CV | 桑島法子 |
(公式ファンブック「金色のガッシュ!!まるかじりブック」内の魔物大百科、及び魔物発見場所マップから引用)
(※注1)公式ファンブックではなく、完全版に収録されたガッシュカフェにて判明。
概要
邂逅編に登場した魔物の子の一人。
後述のように、原作16話という作中最序盤で登場し、僅か3話で魔界に帰ってしまったにもかかわらず、今作のテーマである「やさしい王様」を語る上で絶対に欠かすことのできない非常に重要なキャラクター。
つまり、主人公であるガッシュにとっても戦う理由・目標を見出すきっかけとなった魔物であり、ある意味では作品全体のテーマを読者に提示し確立した存在ともいえる。
そのキャラクター性から、連載終了から長い月日が経った現在でも根強いファンは多く、2023年にマイナビが実施したアンケート「金色のガッシュ!!で1番好きな魔物の子は?」でも20位にランクインしている。
人物像
容姿
カールさせたボリュームのあるピンク髪、穏やかな人柄を思わせる丸い瞳が特徴的。
服装に関しても、襟とリボン以外がピンク一色のロングスカートにピンクの靴と、幼い少女さを感じられる可愛らしい服装をしている。
身長や体格に関しても、公式ファンブック「金色のガッシュ!!まるかじりブック」にて人間換算年齢が同じく6歳と判明しているガッシュやティオ同様、人間の6歳児と同程度。
ゼルクで変身した際の容姿については「術」の項目にて解説する。
性格
原作2巻までに登場した魔物の中では、主人公であるガッシュを除いて唯一の「心優しい魔物」であり、清麿も気持ちを押し殺して本を燃やした際に「やっと心の優しい魔物に逢えたのに」と涙を流していたほど。
現に(厳密にはゼルクによる別人格のせいだとはいえ)、自分が周囲の人々を傷付けたと察した際には、迷わずガッシュに本を燃やすように頼んでおり、他者を傷付けてしまうことに強い抵抗や苦しみを抱く優しい性根を持っていると読み取れる。
物語が進むに連れ、「何かしらの仕方がない事情で本を燃やしてもらう」というシチュエーションは何度か描かれるものの、自分から本を燃やしてほしいと頼んだ魔物はコルルが初である。
また、作中では自分を助けた上で温かく迎えてくれたしおりを「おねーちゃん」と呼び慕い、ガッシュカフェでは弟がいる(=コルルは長女)とも判明したので、年頃の女の子らしく甘えたがりな面を秘めているのかもしれない。
他、しおりが作ってくれたティーナを持って人形遊びをしていたり、ガッシュカフェでも「一人だとよく家の中で遊んでいた」とも述べているため、どちらかといえばインドアな方だと思われる。
術
術属性に関しては、公式ファンブック「金色のガッシュ!!まるかじりブック」にて「強化」属性と解説されている。
……だが、コルルが使う肉体強化術は他の魔物が使う術には見受けられない独自の効果があり、作品が連載終了した現在でも非常に謎の多い術となっている。
当項目では各術の解説をするに留め、謎や考察については「余談」の項目にて列挙する。
ゼルク
術を発動した瞬間、服を破くほどの勢いで全身が強化され、両手の爪全てが鋭さと長さを増し、白目を剥いたような状態に変化。
奇声を上げながら暴れ回り、周囲の人々を見境なく襲う凶暴な姿へと変貌する(カードゲームでは「コルル(変身後)」という名前で収録されている)。
ガッシュ戦ではザケルだけでも相応のダメージを負っている一方、対峙した清麿も爪の連撃を見た際に「なんてスピードだ」と驚いているので、おそらく耐久力というよりスピードや手数を強化するタイプの肉体強化だと思われる。
上述のように、このゼルクという術は謎めいた描写が多々あるのだが、それらについては非常に長くなるので「余談」の項目を参照。
尚、サンデー掲載時には「バルク」という術名だったらしいが、ネット上の書き込みには具体的な刊数(引用元)が示されていないので、うろ覚えやデマの可能性もある(もし具体的な刊数がわかる方がいらっしゃれば、随時追記をお願いしたい)。
ゼルセン
両腕をロケットパンチのように飛ばす術。
後に登場したキッドも同名の術を使用しているが、作者の雷句先生が2012年にTwitterでミリアラル・ポルクについて解説した時、「同じ術を持っていても魔物同士で微妙に効果が違うため、例えばコルルのゼルセンをコピーしたとしても(同じくゼルセンを覚えている)キッドにダメージを与えることはできない」と回答しているため、厳密には全く同じ呪文ではないらしい。
この術に関しても、サンデー掲載時には「バルセン」という術名だったらしいが、同じくネット上の書き込みには具体的な刊数(引用元)が示されていないので、真偽は定かではない。
ちなみに、ファンの考察等ではゼルクのみが注目されがちではあるが、ゼルセンに関しても謎めいた描写が1つだけ存在している(それについても「余談」の項目を参照)。
シン・ライフォジオ
クリア完全体との決戦にて、ガッシュの「金色の本」を介して発動したシン級呪文。
前方に手をかざし、対象に特殊な光を当てて包み込む。
この光はコルル曰く「水の中でも宇宙空間でも『生命』を守ってくれる」効果があり、作中ではガッシュと清麿が宇宙空間へ行く最後の手助けや、バリアが破れて放り出されたヴィノーを救出する際に使われた。
尚、ネット上にはシン・ライフォジオについて「自分を含む任意の対象を柔らかい光で包み込む」と書き込まれていることもあるが、これは厳密にはデマなので注意。
現に、作中では光を当てたガッシュ・清麿・ヴィノーの身体のみが輝いており、コルル自身の身体は輝いていない(再登場時に身体が淡く輝いているような描写は、「金色の本」に集った他の魔物達と同じく「魂である」ことの表現である)。
よって、あくまでシン・ライフォジオは「対象に光を当てて効果を発揮する」術であり、「コルル自身も自動で術の影響を受ける」わけではない。
以下はゲーム作品、及びカードゲームオリジナルの呪文。
ジオ・ラ・ゼルド
ゲームオリジナル呪文。
自身の周囲から幾つもの巨大な爪を生やし、近距離の相手を突き上げるように攻撃する。
ラージア・ゼルセン
ゲームオリジナル呪文。
ゼルセンよりも巨大化した両腕を飛ばす。
ゼルルド
カードゲームオリジナル呪文。
体に力を込め、攻撃を回避する。
ゼラルセン
カードゲームオリジナル呪文。
爪を四方八方に飛ばして相手を攻撃する。
本の持ち主
しおり
黒髪ロングヘアが特徴的な女子高生。
CVは今井由香氏(アニメ版)/小松未可子氏(スマホゲーム「金色のガッシュベル!!永遠の絆の仲間たち」)。
作中では「しおり」としか呼ばれておらず、表札等が映るシーンも無いため苗字は不明。
裁縫が得意であり、コルルのために自身の大切な服を切り取り、一週間もかけて人形のティーナを作ってあげる等、まさに「本当の姉妹」のように強い愛情を築いていた。
両親は仕事漬けで家におらず、用事も直接話すのではなく伝言板を使ってやり取りするほどに「家族の時間」を失くしていたため、「家族の時間」をくれたコルルを妹として引き取ろうとも考えていた。
コルルが魔界に帰ってしまった後も想いは変わらず、原作304話ではティーナを見つめていたり、原作最終話ではコルルからの手紙を読んで涙している姿も描かれている(背景にはコルルからティーナのお礼として貰った花の冠が飾られている)。
尚、原作においては家族との関係が改善したか否かは描かれていないが、アニメ版24話では再登場した際には母親と買い物に行く様子が描かれており、両親との関係を良好なものにできたことが示唆されている。
活躍
初登場は原作16話。
大雨の中でずぶ濡れになり、一人泣いていた時、声をかけてくれたしおりの家に案内される。
自身を優しく迎え、世話を焼いてくれたしおりとすぐに仲良くなり、姉妹のような関係を築く。
その後、たまたま公園でガッシュと遭遇してしまうが、彼は魔界時代の記憶を失くしていたため、バルカン300とティーナを紹介し合うに留まった。
しかし帰宅後、遊び疲れて眠っていた際、自身の本を手に取ったしおりが本に浮かび上がった術を不意に唱えてしまったために戦闘形態が覚醒し、周囲の人々を傷つけ、通り魔事件を引き起こしてしまう。
コルルのもう一つの姿を知ってショックを受けるしおりは、「自分が本さえ読まなければコルルは優しいコルルのままでいられる」と考え、本を読まないよう今までと変わらない日々を送ろうと誓う。
だが、しおりと公園で遊んでいたある日、「ボールを拾うためにコルルが車道へ飛び出し、目前にトラックが迫っている」という危機的状況で仕方なく術を発動されたため、再度戦闘形態となり、周囲の人々を傷付けてしまう。
そこへ駆け付けたガッシュ・清麿ペアと望まぬ戦闘となり、最終的にはガッシュとしおりの呼びかけにより正気を取り戻す。
コルルは「もう一人の自分」が被害を齎してしまったことを察し、これ以上周囲に迷惑をかけないようにと、ガッシュと清麿に本を燃やすよう頼む。
当然ながらガッシュはこれを拒否するが、清麿は心を押し殺してコルルの覚悟を受け入れ、涙を流しながら術を唱えて本を燃やす。
最後には「魔界にやさしい王様がいてくれたら、こんな辛い戦いはしなくてよかったのかな」と零し、ガッシュが強く頷いた際には笑顔を浮かべて魔界へと帰っていった。
この一件が、「ガッシュが『やさしい王様』を目指すきっかけ」かつ「『人の心を操り、戦いたくない者まで無理矢理戦わせる行為』を心から嫌悪するきっかけ」となり、当記事冒頭でも述べたように今作のテーマを決定付ける瞬間となった。
以降もガッシュが全身全霊をかけた戦闘の際や、心身共に追い詰められた状況で回想として度々登場する等、ガッシュ自身にとっても心の中に抱き続ける大切な存在となっている。
ちなみに、PS2専用ゲーム「最強の魔物達」のアーケードモードにおいては、本編のイフ的な展開も描かれている。
全ステージクリア後の後日談とも取れる一枚絵にて、「戦いを重ねることで別人格が強くなり、王への道を望むようになってしまう」というバッドエンドにも等しい展開が描かれている。
本編においても、もしガッシュペアの本を燃やして勝利した場合、そのような悲しい運命を迎える可能性があったのだろうか……。
そのように考えても、やはりまだ被害の少なかった序盤でガッシュと出会い、本を燃やしてもらえたことは、せめてもの救いだったのかもしれない……。
アニメ版ではその後も回想での登場のみだが、原作ではクリア完全体との最終決戦において、ガッシュの「金色の本」を介して遂に再登場。
コルル自身が再登場するのはちょうど300話ぶりであり、使用した術の優しさも相まって多くのファンを感動させた。
そして原作最終話では、ガッシュ・ティオ・ウマゴンと共に学校へ通う様子が描かれている。
ちなみに原作272話におけるガッシュの回想(過去の記憶)で教室が映る際、ティオとコルルも描かれているので、ガッシュ・ティオ・コルルの3人がクラスメイトだったことは確定している(ウマゴンについては確認できず、人間換算年齢も2つ離れているので、同じクラスだったのかは不明。「外伝:友」では同じクラスとして描かれている)。
また、完全版に収録された「ガッシュカフェ」ではティオと共演。
本編では一切絡みの無かった2人だが、ここで初めて「魔界学校の幼児部の頃からの仲」だと明かされた(詳細はティオの記事を参照)。
関連人物
「やさしい王様がいてくれたら……」という想いを託し、涙ながらの別れとなった主人公。
ここまで述べてきたように、今のガッシュがいるのはコルルとの出会いと別れを経験したからと言っても過言ではない。
「本の色がピンク系統」「他者を助けるジオ系の術を修得する」等の共通点があり、ガッシュカフェでも共演するといった縁がある。
実は本編では一切絡みが無く、連載中に公式書籍等で関係性が説明されたこともなかったため、連載終了から長い年月が経った後に交友が明らかになったという珍しいパターンである。
前述したように、同じ呪文であるゼルセン(及びラージア・ゼルセン)を修得している同士。
ただ、作者の雷句先生が2012年にTwitterでキャンチョメのミリアラル・ポルクについて回答する際、「同じ術を持っていても魔物同士で微妙に効果が違うため、例えばコルルのゼルセンをコピーしたとしてもキッドにダメージを与えることはできない」と述べているため、厳密には全く同じ術というわけではない模様。
こちらもジオ系を修得しており、かつ「ガッシュと出会い交流を深めたが、仕方のない事情により本を燃やしてもらった」魔物。
いわゆる「勝気な不良」と「おとなしい年下の優等生」を思わせるからか、Pixivでは2人のカップリングを想像した作品も投稿されている。
余談
呪文の謎
「術」の項目でも述べたように、コルルが使用した呪文には謎めいた点が幾つか見受けられるため、当項目では作中の描写・公式情報・及びそれらから考えうる推察を交えて解説していく。
まず、ファンの間でも特に疑問を抱かれるのは、
- そもそも、作中でコルル自身が語っていた「戦う意志の弱い魔物には別の人格が与えられる」という話は本当なのか?
- もし本当だった場合、コルルに凶暴な別人格を植え付けたのは誰だったのか?
という2点であろう。
これらについては、まず結論から述べると、
- 1:「戦う意志の弱い魔物には別の人格が与えられる」という話の真偽については、真実と嘘のどちらとも解釈できるため、現状ではどちらとも断言できない(見方によって解釈が分かれる)。
- 2:コルルの別人格が「植え付けられたもの」だと仮定した場合、おそらく植え付けることができた可能性を持つのは魔本(及び「王を決める戦い」を運営する側)であり、いち個人としての魔物ではない。
というものになる。
特に1に関して、ネット上では「コルルの話は風評や誤解、勘違いだった」と断定口調で書き込まれていることもあるが、むしろそのような解釈の方が誤りである可能性も否定できないので注意。
当記事ではコルルの言葉の解釈に関して、肯定/否定どちらの見方も述べていき、絶対的な結論は出さない形を取ることとする。
真偽についての解釈が分かれる理由
コルルの言葉の真偽については、作者ブログにおける回答をどのように解釈するかで分かれるのだと思われる。
作者ブログの質問コーナーに、「コルルに凶暴な別の人格を植え付けたのは誰だったんですか?」という旨の質問が届いた際、作者の雷句先生は、
- コルルの凶暴な人格は、力の持つ側面。力の人格である。二重人格というものかもしれない。最後の敵であるクリアとも少し似ている。
- 一方、シン・ライフォジオはコルルの才能が生んだ力ではなく「コルルが望み、手に入れた力」である。「運命に負けず、人を守りたいと願い、修行し、手に入れた力」だと思ってください。
と回答している(実際のブログはこちら。2008年7月1日更新分)
この回答を根拠とし、
- 1:凶暴な人格はコルルの持つ力の側面だ。
- 2:つまり他者から与えられた力ではなく、コルル自身の力だ。
- 3:だからコルルの話は風評や誤解、勘違いだった。
と見なす層も一定数いるが、それは安直な面もある。
あくまで雷句先生は上述のような回答をしただけであり、「別の人格を植え付けたというのは勘違いだ」とは明言していない。
むしろ作中の描写を踏まえた場合、上述の回答における「力」や「才能」そのものが他者から植え付けられたものと解釈することも可能である。
つまり、上述の回答における「力」「才能」自体を、
- 純粋にコルル自身が生まれ持ち、その後も変化していないもの。
もしくは
- 先天的あるいは後天的に植え付けられた、もしくは何らかの細工をされたもの。
のどちらと捉えるかで解釈が分かれる。
捉え方によって根拠として挙げる作中の描写も異なるので、当記事では、
- 1:コルルの話は勘違い(=ゼルクは純全たるコルル自身の力)派
- 2:コルルの話は本当だった(=ゼルクは第三者から植え付けられた力)派
という順で双方の見方を述べていく。
1:コルルの話は勘違い派
こちらの主張としては、やはりコルルの描写と作中の描写や設定との矛盾点だろう。
まず、コルル自身は「戦う意志の弱い魔物には別の人格が与えられると聞いたことがある」と発言しているものの、魔物の術は「本によって勝手に与えられる、読めるようになる」のではなく、あくまで「魔物自身の想いや成長、変化によって術が発現する」メカニズムであることが証明されている。
そもそもとして、ゼオン・アシュロン・クリアのように「王を決める戦い」の真実について知っていた魔物は数名いるものの、「魔本」の詳細を具体的に語った魔物は誰一人存在しない(せいぜい「人間が心の力を込めれば術が強くなる」程度の認識や発言に留まっている)。
逆に、当然ながら魔界では魔物が自分の意思や魔力で術を使用可能なので、「他の魔物がどのような術を使うか」「この世界にはどのような系統の術があるのか」等は全ての魔物がある程度知っているはず。
その上で、作中でゴフレが使用した際のドルクや、デモルトとリオウが使用した「禁呪」たるバルスルク系の存在を踏まえた場合、
- 間違いなく高い身分の生まれではなく、争いを好まない性格のコルルが術や魔本の正確な情報を把握していたとは考えにくく、噂話の類も信じてしまう可能性があった。
- 一部の肉体強化術には心身を凶暴化するような効果が見受けられるため、魔物達の間で「戦う意志の弱い魔物には別の人格が与えられる」というような俗説(誤解)が流れてしまい、単にコルルもそれを鵜呑みにしていただけだった。
という仮説を立てることができる。
加えて、
- しおりが初めてゼルクを唱えようとした際、コルルは「本を読んじゃダメ!」と明らかに本を読むことで生じる問題を知っているような制止をしている。
- ゼルク発動時の記憶こそ無いものの、ガッシュ戦後には「もう一人の私が出たんでしょ」と、やはり術の効果を自覚しているような発言をしている。
- ティオやモモン等、明らかに戦う意思に欠ける魔物は他にも多数存在するが、いずれも別人格を与えられることはなく、作中ではコルルと同じ扱いを受けた魔物は一切登場していない。
等の点からも、「コルルの話は勘違い」という主張を補足することができる。
2:コルルの話は本当だった派
一方、こちらについては、ゼルクに対する疑問点が最も大きな主張となる。
ゼルクの最も不可解な点は、凶暴な性格が表出するだけでなく、術を発動している最中の記憶が一切消えていることである。
厳密に言うならば、通常時のコルルとゼルク発動時のコルルでは記憶が共有されていない(コルルは発動中の出来事を一切覚えていないし、ゼルク発動時のコルルも初回ではしおりに対して「お前は誰だ」と発言している。また、しおりもゼルク発動から正気に戻ったコルルが発動時の記憶を失っていたことに安堵したのか、「自分が本さえ読まなければコルルは優しいコルルのままでいられる」と考え、二度と本を読まないことを誓って平和に過ごそうとしていた)。
これは作中に登場する全ての術の中でも異様な現象であり、他の似たような術と比較した場合でも、
- デモルトとリオウの使うバルスルク系は、心身を凶暴化させる効果こそ似通っているが、あくまで獰猛(=一時的な興奮状態)を起こすものであり、別人格が発現したり、発動前/発動後で記憶の齟齬が生じるわけではない。
- シン・クリア・セウノウス(≒クリア完全体)に関しても、確かに「魔物としてのクリア」の人格が術に支配されていく描写こそあったものの、「魔物としてのクリアは自らの意志で完全体になることを目指していた」「原作315話では完全体とクリアの抜け殻が連動しているような演出がある」「完全体もアシュロンを覚えていた」等の描写がある。
- よって、シン・クリア・セウノウスは厳密には「支配」や「別人格の表出」というより「共生」のような関係性であり、記憶も引き継がれていることが読み取れる。
といった具合であり、術の発動前後で完全に人格が切り替わり、かつ記憶すら個別になっている術はゼルク以外に存在しない。
もしゼルクが上記のバルスルク系やシン・クリア・セウノウスと同じく「コルル自身に元から備わっていた呪文、コルル自身の力や才能で発露した術」だと仮定した場合、なぜ記憶すら一切共有されない別人格が表出するのか?という疑問が生じる。
そもそもとして、「コルル自身の力や才能から目覚めた術は、当のコルル自身と完全に分断された人格や記憶で戦う術である」というロジック自体に違和感を覚えはしないだろうか。
また、ゼルク(及び関連性のあるゼルセン)の発動描写そのものにも不可解な点が散見される。
それは、
- 原作16話でしおりがゼルクを発動する際には、輝いた本を持った時に手が勝手にページをめくっている描写がある。作中に登場する本の持ち主の中で、手が勝手に本をめくって術を読めるページに誘導されたかのような描写があるのはしおりのみである。
- ガッシュ戦ではゼルクが解けていないにもかかわらず、まるで「術の力を強める」ような目的でゼルクを重ね掛けできている。
- 他の魔物の肉体強化呪文は「一度発動したら解除する(される)まで心の力を出し続ける」ような使われ方をされており、ゼルクのように術が解けていない状態で重ね掛けされた肉体強化術は他に存在しない。
- 原作17話でゼルセンが発現する際には、しおりが「コルルをいじめないで!」と強く思ったから術が増えたような描写になっており、コルル(=魔物)自身の成長や想いではなく本の持ち主の想いで術が覚醒している。これは魔本の「魔物自身の想いや成長、変化によって術が増える」という機能と明らかに矛盾している。
等が挙げられる。
よって、ここまで述べてきた情報や描写を総合すると、
- ゼルクは魔本(及び「王を決める戦い」を運営する側)によって植え付けられた術であり、だからこそ他の術では起こるはずのない「記憶すら共有されない完全な別人格」が表出する呪文だった。
- 「王を決める戦い」を運営する側が植え付けた術だからこそ、「しおりの手を操って術を唱えるよう誘導する」「しおりの想いだけで攻撃呪文を増やし、より戦いの運命から逃れられなくする」ような他の魔物に対しては不可能な干渉をすることも可能となっていた。
という仮説を立てることもできる。
更に、「コルルの話は勘違い派」で列挙した補足に対しても、
- 「戦う意志の弱い魔物には別の人格が与えられる」という話を信じていたからこそ、戦いに参加した時点で自身が別人格を与えられる対象となることを予想しており、しおりが本を読もうとした時には万が一の可能性を考慮して咄嗟に制止した。
- 同じ理由で、「もう一人の私が出たんでしょ」という発言は、話を信じていたからこその理解・判断であった。
- 現に通り魔事件を起こした翌日の時点では、(しおりが黙っていたというのもあるが)「昨日、私どうなったの?何かあったんじゃないの?」と心配するに留まり、「もう一人の私が出た」と断言まではしていない。
- 作中ではコルルと同じ扱いを受けた魔物は一切登場していないが、あくまで「作中で登場していない」だけであり、千年前の戦い等で同じ扱いを受けた魔物がいた可能性もゼロではない。
と、それぞれに対して反論することも可能ではある。
以上、当記事でもどちらかの意見だけを全面肯定/否定するつもりではないので、ここまで述べてきたような考察をファン同士の交流に活かしていただければ幸いである。