概要
上海アリス幻樂団の作品である東方Projectに登場する東風谷早苗と「ZUN's Music Collection」に登場する宇佐見蓮子のカップリング。
両者の原作では二人の生きる時間や世界などの関連性について、その接触の可能性も含めて明言されておらず、原作において二人が出会う事が出来るかどうかも不明である。
しかしながら二人の間には共有し得る要素もあり、二人に関連した二次創作において、コンビ・カップリングのような関わり方を含めて様々に想像されている。
神々と想像力
早苗は初登場した『東方風神録』以前は、「外の世界」にあった。
しかし「外の世界」における「 科学の時代 」は、早苗が風祝として使える八坂神奈子の存在性を脅かした。
人間は「 科学と情報を信仰し始めた 」ことと並行して神々を信仰しなくなった。
信仰は神々の力そのものであり、それが失われれば信仰を生み出すための神徳もまた行使できなくなる。この悪循環は「 神の死に等しい 」ものである。
そして神奈子の下した「 可能性ある未来を選んだ 」決断によって、早苗もまた幻想郷へとやってきたのである(『風神録』)。
蓮子の世界観における言葉によれば、人は「 不思議を受け入れなくなった 」(「伊弉諾物質」、日本中の不思議を求めて)のだといえる。
「 科学 」には、それが生み出され発展する過程には「 深い想像力 」がある。あらゆる謎を発見する姿勢に開かれ、見出した謎をあれでもないこれでもないと考察し、それを解き明かすために様々に研究するなどする過程などには、いずれも解き放たれたイマジネーションが不可欠である。
しかしそれらの想像力の果実としての「 情報 」が誰にでも平等に与えられた事で「 想像力は死滅 」する。
「 答え 」は情報の中に既にあるとされ、そこに人々が想像をさしはさむ隙間はないのである。
もしそこに「 答え 」が無ければ、「 何かの間違い 」として処理されてしまう。
思考する事、想像する事が放棄されてしまうのである。
蓮子とメリーの世界において「 神様が消えた理由 」は、この「 想像力の死滅 」であると語られている。
一方「夢違科学世紀」では、蓮子個人は「 夢と現 」を分けて捉え、「 主観 」の外に未知の世界が広がっているとの考えを示している。
同時に、もう一人の「秘封倶楽部」メンバーであるマエリベリー・ハーン(メリー)の夢とそこから持ち帰ったという様々なものを通して一律には説明できない「 結界の向こう 」に謎がある事を知った。
蓮子の「 想像力 」は「 夢の世界を現実に変える 」(「夢違科学世紀」、幽玄の槭樹)活力へと結びつき、これが蓮子とメリーの秘封倶楽部の動機づけともなっている。
蓮子は、早苗らが必要としていた信仰の大本となる「 想像力 」を今も失っていないのである。
早苗と蓮子
先述のように早苗と蓮子は原作では出会っておらず、出会う事ができるのかどうかも語られていない。
一方二次創作では二人の接触が様々に想像されている。
例えば蓮子がメリーとともに「 結界 」を越えて東方Projectにおける幻想郷へと入り、そこで早苗と出会う、などのストーリーをはじめとして、幻想郷に来る前の早苗に蓮子とメリーが出会う、あるいは一度は幻想郷へと入った早苗が何らかの理由で再び「外の世界」に出、蓮子とメリーと出会う、などのストーリーがある。
また「伊弉諾物質」では早苗ら守矢神社の面々とも縁の深い信州を蓮子とメリーが観光しているなど、早苗と蓮子は土地的な接点も得た。
作品によっては同作でメリーが「 信州のサナトリウム 」に一定期間入院した際にこの地に縁のある早苗と出会う、などの作風もあるなど、両者は土地の面からも縁を繋いでいる。
土地という観点を見る時、早苗が祀る守矢の神の一柱である洩矢諏訪子は土着の神であり、土地に深く根付いた神であった。
すでに「 自分の名前を知っている人間 」(『風神録』)もほとんどおらず、今では守矢神社の面々とともに幻想郷へと至った諏訪子であるが、縁のある土地で蓮子らが「 神の時代の風景 」(「伊弉諾物質」)を探しだそうと動き出す様に、諏訪子も通して早苗と蓮子らとの特別な意味を見出すものもある。
この他、ゲームとしての東方Projectにおいてもファンの間で両者の接点が想像された事があった。
早苗が自機として登場する事が発表された『東方星蓮船』の体験版段階において、そのタイトルに「蓮」の文字が含まれることから、何らかの形で蓮子が登場するのでは、と想像されたのである。
実際には同作体験版及び製品版には蓮子は登場しなかったが、この『星蓮船』体験版から製品版に至るまでの間、あるいはそれ以後も蓮子が同作に登場したら(あるいは登場していたら)、という想像が様々になされており、これが「サナ蓮」の一つの姿にも繋がっている。