ジャガー横田
じゃがーよこた
所属団体はワールド女子プロレス・ディアナ、所属事務所はパーフィットプロダクション。
4人姉妹の末娘として誕生。
に小・中学校の後輩に伊集院光がいて、横田は伊集院の兄と同級生だった。
中学は卓球をしていて高校の推薦入学が内定していたが、経済的事情から全日本女子プロレス入り。
1977年6月28日大田区体育館大会で全日本女子プロレスにデビュー。
小柄ながら気迫迫るファイトで初代全日本シングル王者、第29代・31代WWWA世界シングル王者など数々のタイトルを所持。
1986年、ケガを理由に現役を引退。その後コーチとしてアジャ・コングら後のスター選手など育成するも、全女の人気下降により余裕のなくなった会社側から解任される。
1990年代には吉本興業企画の女子プロレス軍団『吉本女子プロレスJd'』に所属、若手を指導する。
1998年12月26日、2度目の現役引退。その後も2000年までコーチを続ける。
2011年10月、『ワールド女子プロレス・ディアナ』に入団、コーチ業とスポット参戦でリングにも上がる。
現在も現役最古参女子レスラーとして各女子プロレス団体のリングに上がりながら、フリーの立場で各団体の後輩を指導している。
私生活では、2004年7月に、年下の医師(医学博士でスマックガールのリングドクター)で、鎌倉女子大学教授を務める木下博勝(北海道深川市出身)と結婚。
夫婦でバラエティーやドラマに出演もした。
テレビでは木下がジャガーの尻に敷かれているイメージだが、週刊誌報道などでは木下を怒らせて捨てられるとジャガーが生活できないということでジャガーの方がペコペコしているという内容の話が掲載されたことも。
2006年5月に妊娠が判明。40歳を過ぎてからの高齢出産で注目され、11月29日(現地時間、日本では11月30日)にハワイホノルルの病院で自然分娩にて男児を出産。
歌手として、単独で「愛のジャガー」(1983年発売、ミノルフォン(徳間音工))、夫婦で「愛のデュエット」(2007年10月17日発売、ポニーキャニオン)を出している。