概要
1947年1月24日、徳島県生まれ。本名・尾崎正司(おざき まさし)。
ワールドゴルフランキングにおいて自己最高位8位の記録を持つ。
弟の尾崎健夫(通称ジェット)、尾崎直道(通称ジョー)も、プロゴルファーとして活躍している。
(尾崎健夫は1971年の「プロ野球ドラフト会議で、海南高校からヤクルトアトムズに3位指名されたが兄と同じ道を歩む事を選択した。)
来歴
1964年春の選抜高校野球選手権大会にて、徳島県立海南高校(現在の徳島県立海部高校)を優勝に導き、1965年に西鉄ライオンズへピッチャーとして入団。
しかし同期に入団した池永正明の投球を見て「こんなピッチャーがいたんじゃ、俺なんかピッチャーで飯が食える訳が無い」と投手を諦め外野手となる。その後はなかなか目立った活躍をみせられず、1967年に在籍わずか3年で退団する。
当時打撃コーチだった花井悠からゴルフ転向を勧められプロゴルファーを目指す。
しかし、退団時の西鉄とのいざこざで九州では活動できなかったため、単身千葉のカントリークラブで修業をすることになる。
1970年に正式にプロデビュー。以後、通算勝利数113勝(その内国内ツアー94勝)、12回の国内ツアー賞金王獲得など数々の記録を残し、長年のライバルとなる青木功や中嶋常幸とともに「AON」と呼ばれる日本を代表する名ゴルファーとしてその名を不動のものとし、現在もレギュラーツアーの第一線で活躍。プロデビュー後には後輩たちとジャンボ軍団を結成し、合同合宿を積極的に行った。
また、最近はNPO法人「JUMBOスポーツ・ソリューション」を設立し、将来のゴルフ界を担うジュニアゴルファーの育成にも積極的に取り組んでいて、原英莉花や西郷真央、笹生優花ら第一線で活躍する若手プロ選手を輩出している。
また深見東州が代表するISPS(国際スポーツ振興協会)のアンバサダーを務めオリンピックを始め世界へ目指す若手プロゴルファーやジュニアゴルファーを育成と指導している。
ゲームソフト
1988年にHAL研究所からゲーム『ジャンボ尾崎のホールインワン・プロフェッショナル』が発売。
タイミングの難しいショットなどを尾崎が丁寧に解説してくれる。トーナメントでは尾崎と対決できる。
1991年にはHAL研究所のSFCソフト第一弾として『ジャンボ尾崎のホールインワン』が発売された。尾崎によって設計されたコースでプレイできる。コミカルにデフォルメされていたゲーム中の尾崎の表情もハードの強化に伴いリアルになった。
これらのゲームはチートバグ動画でよくプレイされており、「ワンポイントレッスン」としてプレイヤーにアドバイスを贈る尾崎の台詞が、チートによって珍妙な文面に変化してしまう事例がほとんど。
チートバグ動画ファンからは「尾崎先生」と呼び慕われているらしい(?)。
昨今のネット界隈ではスポーツ選手として以上にチートバグ動画で数々の迷言を残す人物として有名。
pixivにおいても、同動画を意識したイラストが多い。