生い立ち
ニュージャージー州イングルウッドにて、6人兄弟の末っ子として生まれる。父親のサルヴァトーレ(1995年没)はイタリア系アメリカ人2世のフットボール選手でもあったタイヤ会社のセールスマン、母親のヘレン・セシリア(1978年没)はアイルランド系アメリカ人の演技講師。兄や姉も俳優をしている。
キャリア
高校卒業後にニューヨークに移り、ブロードウェイのミュージカルに出演するようになる。その後ロサンゼルスに移り、1975年スタートのTVシリーズ『Welcome Back, Kotter』のレギュラー出演を経て、1976年の『キャリー』で本格的な映画デビューを果たす。
1977年に主演した青春映画『サタデー・ナイト・フィーバー』のヒットでスターになった。その後も、『グリース』(1978)、『アーバン・カウボーイ』(1980)のヒットでさらに人気を高めた。しかしその後、1983年の『ステイン・アライブ』(『サタデー・ナイト・フィーバー』の続編)や『セカンド・チャンス』などが興行的に失敗し、一時期は『ベイビー・トーク』シリーズ(1989-1993)に出た程度で当たり役に恵まれなかったが、1994年に彼の大ファンだったクエンティン・タランティーノ監督の『パルプ・フィクション』のヴィンセント役で復活し、再び大スターの地位を安泰なものにした。
その後、『ゲット・ショーティ』(1995)でゴールデングローブ賞男優賞を受賞し、さらに2000年には『バトルフィールド・アース』でラジー賞を受賞した。
多数の賞にノミネートされた2002年作品『シカゴ』の弁護士役のオファーを断ったことを後悔している。
PIXIVでは本人のイラスト以外にも、出世作「サタデー・ナイト・フィーバー」のポスターに描かれた頭上を指差すポーズにタグをつけられることが多い。
キャーイクサーンとか。