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概要編集

1915年にフランスのSPADで開発された、黎明期の戦闘機。はっきり言えば戦闘機の仏国面である。


当時既に、戦闘機には真正面に向けて機関銃を搭載するのが最良ということは知られていた。しかしプロペラを前に配置する牽引式の場合、真正面に機銃を向けると自分で自分のプロペラを破壊してしまうためそれはできず、どうにかしてこれを解決しなければいけなかった。


イギリスでは、エンジンとプロペラを後ろに配置する推進式とすることで解決を図った。これは腕前に優れるパイロットであれば高性能を発揮し、ある程度の成功は収めたものの、初心者には操縦がとても難しく、そのうえ着陸に失敗するとパイロットが後ろのエンジンに押しつぶされたり、脱出しようとすれば背後のプロペラで死傷する確率が高いという、危険極まりないものでもあった。


しかしフランスはそれよりもさらに大変なことをやってしまった。


何と牽引式のまま、銃座だけをプロペラの前に出すという発想である。それだけ聞けば、ありそうな解決策だと思うかもしれない。しかしそんなことは無かった。


まずガナーの背後でプロペラが回っている。これだけで大問題である。当然ながら空気がそこに吸い込まれるため、ガナーは当たれば自身を切り刻んでしまうプロペラに向かって吸い込まれかねない。もし着衣の端でも触れようものなら終わりである。一応支柱によりガードされてはいたが、当時は飛行機など実用化されて間も無い頃である。元より飛ぶだけでも命がけの時代で、安全性などというものは二の次で作られていたため、支柱があってなお被害にあうガナーもいた。


さらに飛行機に積む通信機器(伝声管も含む)など無い時代である。ガナーとパイロットの間にあるプロペラによって遮られるため、飛行中に意思疎通をすることはほぼ不可能。このため敵が複数いればそれぞれが異なる目標を狙うなどして、相棒が思い通りに動いてくれない、などということは日常茶飯事だっただろう。


牽引式なのでプロペラの後ろにエンジンや機体があるのは当然のことなのだが、銃座により前までも塞がれるため、推進効率は最悪なうえに、エンジン冷却用の空気を導くのも大変だった。このため飛行性能も大幅に悪化し、そもそも敵戦闘機の動きについていけなかった。冷却については色々と工夫していたようだが、充分な効果があったかは疑わしい。


パイロットの目の前に銃座、そこに乗り込むガナー、さらに銃座に向けて複葉の主翼から延びる支柱といった邪魔なものが多数あるため、前方視界も非常に悪かった。もっとも当時の複座機は、後ろにパイロットが乗るタイプが珍しくなかったため、これについてはそれら共通の問題だった。


これだけでも大変だが、こんなもので済むと思ってはいけない。いずれも平常運転で起こることであるという点でまだマシなのである。非常事態が発生しようものならさらに危険極まりない。


この銃座はエンジンを起動したり(※)、点検や整備を行なう際には邪魔になるため、着脱可能な構造となっていた。しかしその部分の強度に問題があり、着陸の際には衝撃で外れて銃座だけ飛ばされるという事故が頻発していた。それでも着陸できればまだいい方なのである。


着陸に失敗して機体が前転したり、墜落という最悪の事態が起きたりすれば、ガナーは銃座ごと地面に叩き付けられたうえに、背後からは高速で回転するプロペラと、飛行中に熱くなった重いエンジンが襲って来るのだからまず助からない。空中での脱出も、飛び降りた直後にプロペラに巻き込まれるため、まず不可能であった。


戦闘機の黎明期には何もかも手探りだったということがよく分かる例である。しかしそれにしても、どこからどうやってこんなアイディアを出してしまったのかと言わざるを得ない、ぶっ飛びすぎた発想である。こんな危険なものを発案するのみならず、実機を製造し、量産までしたのだから恐ろしい。


当然ではあるが、この機体は前線の兵士からは徹底的に嫌われ、敵よりも味方に対しての脅威とまで言われる有様だった。

あまりのひどさに短期間の使用で退役して量産は打切、発展型の計画もあったが全て中止され、当時欠陥機の吹き溜まりと呼ばれたロシアに捨て売りにされた。しかもロシアは戦闘機自体が貴重だったため、驚くべきことに第1次大戦の終了まで現役を保ち続けた。


ただしこの機体、銃座が全てを台無しにしたが、機体の設計自体は優れていたという。実際に後の傑作機スパッドIVには胴体の設計が一部流用されている。


なお、この後フランスは世界初の「プロペラ越しに機銃を撃てる牽引式戦闘機」モラーヌソルニエLを送り出す。こちらはプロペラに楔形の防弾板を付けて銃弾を弾くという力技だったが、それでもスパッドA.2よりはマシだった。

その後にドイツがプロペラと機銃を同調させる装置を導入し、少し遅れてフランスでも導入された。


イギリスではこの25年後に旋回銃座式の戦闘機であるデファイアントが実戦投入されているが、SPAD A2はそのデファイアントにさえバカにされそうな戦闘機である。


※現存する映像により確認可能なため、知っている人もいるかとは思うが、当時の飛行機はプロペラを手で回してエンジンを始動していた。この方法はスターティングハンドルと理論上は同じなのだが、危険性はさらに高く、始動した途端に手をプロペラに巻き込まれる事故が多発したため、程無くして人力に頼らない始動方法が主流となった。


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戦闘機 珍兵器

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