概要
1930年4月1日の湘南電気鉄道黄金町~浦賀間及び金沢八景~湘南逗子間の開業に備え同年に汽車会社で2両(デト101・102)が製造された。
構造
平床の典型的な無蓋車で、床下に補強のためのトラス棒を備え、両端に乗務員扉1枚分の奥行きと妻面に窓枚設けたリベット組み立ての鋼製運転台が設置されている。浦賀寄りの運転台は屋根が荷台方向に延ばされその上にパンタグラフが搭載されている。荷台部分のあおり戸が両運転台間の全長に渡って設けられている。登場時は運転台が水色荷台が灰色に塗装されていたが昭和40年代に運転台は黄色と赤帯に塗装変更された。荷台部分の荷重は10tである
改造
1942年に東京急行電鉄への合併に伴いデト5020形デト5021・5022となった。
1948年に京浜急行電鉄独立に伴いデト20形デト21・22となった。
1964年に230形の発生品の台車に交換された。
1969年に車上子などATS機器を搭載し、前照灯を白熱灯からシールドビームに変更、台車の軸受をローラーベアリングに交換。
1973年に浦賀寄運転台に列車無線を設置、パンタグラフを品川寄りに変更、改造または方向転換が行われたかは不明、列車無線アンテナ設置のため浦賀寄り運転台屋根の一部形状変更、パンタグラフ付近屋根形状変更。
1979年にデワ40形導入により救援車となり荷台に救援機器を搭載、前面に救援車の文字が入れられた。
運用
デト21は新町検車区、デト22は金沢検車区に配置され、バラスト・資材輸送に使用されたが、救援車に改造後は訓練時や定期検査時の走行にとどまった。京急最後の吊り掛け駆動、自動ブレーキ装備車であったが1990年にクト1形の投入により廃車され形式消滅した。
関連項目
デト11形:後輩にあたる形式