概要
ハプキドー(合氣道)は、大東流を学んだ韓国人の崔龍述(チェ・ヨンスル)から独立した弟子達が、空手や柔道、中国武術等を加味して作った流派である。
合氣(ハプキ)は韓国では、「気を集める」という意味とされる。
漢字表記は合氣道だが、どちらかといえば、少林寺拳法や日本拳法に近い流派である。
崔龍述は謎の多い人物であるが、弟弟子のリチャード・キムの証言で、武田惣角の代理教授だった吉田幸太郎の弟子だった事が分かっており、更に2018年に発見された英名録や受領書で、最低20日間は武田惣角の直接指導を受けた事が分かっている。
韓国に帰国した崔龍述は1951年、最初の弟子でパトロンでもあった徐福燮(ソ・ボクソプ)の経営する醸造所の二階に自身の道場「大韓合気柔拳術」を開いた。
崔龍述は弟子の納めた金額に応じて技を教え、特に合気やその応用技は、金払いの良い弟子にのみ、道場内のカーテンで仕切った場所で伝授していた。
その為、金を払いきれない多くの弟子達はある程度技を学ぶと、見切りを付けて独立。
他の武術を取り入れて、自分達の不完全な技法を補っていったのである。
崔龍述は当初、柔(ヤワラ)。後に柔道との区別の為に柔拳術(ユコンスル)と名乗っていたが、1950年代後半、ある弟子が米兵から借りて来た日本の合気道の本を崔龍述に見せ、「これは先生が教える武術と同じですか?」と質問した際、崔龍述は「そうだ。これ(大東流)が急速に普及して、合気道という武術と呼ばれる様になったという。」と答えた。
それを聞いた弟子達は独立後、合気道を韓国語読みしたハプキドーを名乗り、勢力を拡大した結果、そのまま流派名が定着した。
技法としては、投げ技や関節技の他、当身や寝技、様々な武器術が存在する。
当身は、韓国最大の空手団体だった唐手道武徳館の技法が取り入れられ、テコンドー並みに豊富な蹴り技が存在する。
肩車、背車、腰車等の車技が研究されているのも特色である。
武器術は、短棒、ステッキ、刀、長棒、ヌンチャク、扇、短棒、縄、手裏剣等、様々である。
テコンドーを仮想敵としており、蹴り技への対策も発達している。
ハプキドーは枝分かれが多く、韓国内のハプキドーを名乗る団体だけでも、70以上存在し、更に団体や道場毎に、技が違うと言われる。
オールドスタイルも残っており、崔龍述の高弟で、遺族が認めた正統な後継者・金潤相の龍術館(流派名:徳庵流合氣柔術)と、同じく高弟の林鉉洙の正氣館(流派名:正氣合氣道)に技法が継承されている。
また、全ての団体が崔龍述の流れを汲んでいるというわけではなく、松田敏美門下で、韓国人で最初に秘伝目録を授与された張寅穆(チャン・インモク)の系統や、初代奥山龍峰に師事したパク・ソンホが伝えた八光流の流れを汲むものもある。
これらの流派も、軍事政権時代にまとめてハプキドーと呼ばれる様になったという。
韓国ではチャンポン武術の代名詞と呼ばれる事もあるが、その実用性から、警察やボディーガード、軍隊に至るまで、幅広く採用されている。
かつて、香港と韓国が共同で映画を製作していた時期が有り、その際に、ジャッキー・チェン等の香港の映画俳優もハプキドーを学んでいる。
実在の有名人
池漢載武術家・俳優(『アンジェラ・マオの女活殺拳』シン・クンチャン役、『死亡遊戯』ハプキドー家役)
黄仁植武術家・俳優(『ドラゴンへの道』日本人空手家役、『ヤングマスター』キム役)
ハプキドーを使用するキャラクター
ハプキドーを題材にした作品
アンジェラ・マオの女活殺拳(原題は『HAPKIDO(合氣道)』
別名・表記ゆれ
関連動画
ハプキドーの祖・崔龍述
現代ハプキドーの演武
崔龍述の技法の継承者・金潤相