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概要編集


1223年or1228年or1233年生~1277年没


元々は黒海北方のキプチャク草原の出身であるが少年時代にモンゴル帝国の捕虜となって奴隷商人に売られ、エジプトとシリアを統治していたアイユーブ朝軍人であるアイダキーン・アル・ブンドクダーリーに購入されて配下となりアイダキーンの失脚後はスルタン・サーリフの直属のマムルークとなった。


1249年にフランス王ルイ9世第7回十字軍でエジプトに進出した際は指揮官の一人としてマンスーラの戦いにて十字軍を撃破し、1250年にはアイユーブ朝スルタンであるトゥーラーン・シャーの暗殺に加担してアイユーブ朝の事実上の滅亡とマムルーク朝の成立に貢献している。


その後、政争に敗れて一時ダマスカスのアイユーブ王侯の元に亡命していたが、マムルーク朝のスルタン位を簒奪したクトゥズに許されてシリアに進出していたモンゴル帝国軍に対する司令官となり1260年9月3日のアイン・ジャールートの戦いにてモンゴル軍を撃破、さらに翌月には対立したクトゥズを殺害して自らが新しいマムルーク朝のスルタンに上り詰めた。


その後はシリアに進出して残存する十字軍国家と戦いシリアにおけるキリスト教勢力を次第に駆逐していきモンゴル帝国に対してはキプチャク・ハン国とは友好を保ちつつもイル・ハン国とは完全に対立して幾度となく抗争を繰り広げた。


1277年に北のルーム・セルジューク朝遠征の帰途の際に急死した。


跡を継いだのは若年の息子であるバラカであるがすぐに廃位され、その後に擁立された同じく息子のサラーミシュも1279年に配下であるカラーウーンに廃位されバイバルスの血統による統治は短く終わった。


エピソード編集

  • 身体能力は高かったが片方の眼が極端に小さいいわゆる隻眼で奴隷時代にはなかなか買い手がつかなかったとされる。
  • 内政面においてはエジプト・シリアの間に駅伝制度を整備して情報伝達を素早く機能できるようにし、数多くの建築物を作った。
  • 敬虔なスンナ派のイスラム教徒でもあり滅亡したアッバース朝のカリフを保護したり、1269年にはメッカ巡礼を果たしている。

関連作品編集

  • 蒼き狼シリーズ

同じ中世イスラムの英雄であるサラディンと双璧を成す高能力。

チンギスハーンⅣでは医術レベルの高い都市にいれば史実より長生きするのでマムルーク朝の君主として登場する1271年開始のシナリオ2では寿命が近いながらもそこそこの期間活躍できるが息子2人が凡庸なのでイスラム都市の高い文化レベルを活かして自身に匹敵する息子を作るのが鍵となる。PUK版で追加された1229年開始のシナリオではある程度年数が経つと登場、即戦力が期待できる。


  • 蒼き狼の血脈

小前亮の歴史小説。

バイバルスと思わしき人物が登場し本作の主人公であるバトゥと対決する。


参考文献編集


外部リンク編集

インターネットサイト編集


ユーチューブ動画編集


ブログ記事編集


関係事項編集


関連タグ編集

奴隷 遊牧民族 イスラム教

国王 軍人

隻眼

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