曖昧さ回避
概要
日本プロ野球史上初の助っ人外国人選手とされるアメリカ人野球選手。
ポジションは捕手であった。
生涯
1908年9月25日生まれ、カリフォルニア州ロサンゼルス出身。
南カリフォルニア大学卒業後アメリカでプロ野球選手となるも、メジャーリーグ昇格にまでは至らなかった。
一度はプロ野球選手である事をあきらめ石油会社に就職するも、その傍ら日系人によるクラブチームの助っ人として野球そのものは続けてはいた。
そのクラブチームに在籍していた縁もあって1936年に来日し名古屋軍に入団、日本プロ野球史上初の外国人選手となった。
1937年に後楽園イーグルスに移籍するも、1938年にイーグルスを退団、アメリカに帰国した。
実はハリス自身は日本のことを相当気に入っており、日本語を習得しようと努力していた上、将来的には日本国籍を得るつもりでいた。
だが、結婚したばかりの奥さんが来日に難色を示した上、日米関係が悪化したこともあって、仕方なく帰国したのだった。そしてこれを機に野球とは完全に縁を切ってしまう。
太平洋戦争の際にアメリカ陸軍に招集され、日本語通訳としてフィリピンに渡る。
赴任先の捕虜収容所に収容されていた日本兵捕虜にたまたま元プロ野球選手がいたため、仕事は結構やりやすかったらしい。
戦争が終わり、復員後は工務店経営に勤しんだという。
1976年10月にベースボール・マガジン社の招待で来日し、後楽園球場の視察などを行っているが、日本にプロ野球がすっかり大衆の娯楽として根付いたことを目の当たりにして、「WATASHI,SHIAWASE・・・・・・」と感激したと伝えられている。
1978年5月26日、69歳でその生涯を終えた。