ピーテル・ブリューゲル
ぴーてるぶりゅーげる
ピーテル・ブリューゲル(父)
16世紀ブラバント公国(現オランダ)のフランドル地方出身であると伝わる画家で、同時代の画家として求められた宗教画の他、農民の生活の様子を描いた作品群を残しているために「農民画家」とも呼ばれている。
なお農村を愛し描き続けたとされることから、「股の間から景色を覗いて農村風景のスケッチをとる習慣があり、その姿勢の最中に死んだ」という民間伝承が伝わっている。
またパトロンによって、同国の先達であるヒエロニムス・ボスの作品群のような作品を求められたことから、ボスの作品にも劣らぬ(氏の得意とした諺を元にした)奇妙で不気味な怪物が多数登場する、宗教色が強い中期作品が製作されたという経緯がある。
油絵は40点ほど現存しており、初期の「ネーデルラントの諺」「子供の遊戯」「謝肉祭と四旬節の喧嘩」の3大作品、中期の「叛逆天使の墜落」「悪女フリート」「エジプトへの逃避途上の風景」「バベルの塔」「死の勝利」「ゴルゴタの丘への行進」が特に有名である。
さらに晩年に描かれた『連作月暦画』シリーズ(6枚のうち1枚は失われる)および、聖書的な知識で読み解くことが出来ると言われる謎多き作品「怠け者の天国」「足なえたち」「盲人の寓話」や、「農夫と鳥の巣取り」「絞首台の上のカササギ」が代表作として知られる。
特に氏の描いた「バベルの塔」は、現代におけるこの塔のイメージを決定づけた傑作であると高く評価されており、『農民画家』の真骨頂である「農民の婚宴」「農民の踊り」は、人物が前面に描かれ強調された構図から二枚一組の対となる作品であるといわれる。
※メイン画像およびpixivに投稿されたもの
1604年に、ブリューゲルは上記の作風から農民出身であったという解釈によるカレル・ヴァン・マンデルが書いた伝記が残されているが、実際には当時の記録から人文主義者とも交流があった都市生活者であったようである。
ピーテル・ブリューゲル(子)
ピーテル・ブリューゲル(父)と同名の長男で、自身が5歳の時に亡くなった父が残した農民の生活を描いた絵画のコンセプトを引き継ぎ作品を製作した。
また父の絵画の模写作品を数多く残している。
- ヤン・ブリューゲル
ピーテル・ブリューゲル(父)の次男で、やはり農民の生活を描いた作品を製作した他、独自の作風である風景画、静物画を残している。
- ヤン・ブリューゲル(子)
父の影響により寓意画や風景画を得意とした。父の模写作品も製作しているが色使いが明るい。
- アブラハム・ブリューゲル
ヤン・ブリューゲル(子)の子で静物画を得意とした。
- アンブロシウス・ブリューゲル
アブラハム・ブリューゲルの異母兄弟で静物画を得意とした。