ヘネラル・ベルグラノ(ARA General Belgrano)は、かつてアルゼンチン海軍に在籍していた巡洋艦。艦名は「ベルグラノ将軍」の意。
来歴
元アメリカ合衆国海軍の巡洋艦『フェニックス(USS Phoenix, CL-46)』である。
1951年10月にアルゼンチン海軍に購入され、『ディエシシエテ・デ・オクトゥブレ (ARA Diecisiete de Octubre) 』と命名された。
スペイン語で10月17日という意味のこの艦名、実のところ建国記念日などの国民的な意味合いを持つ日ではなく、当時政権を握っていたペロン大統領が結成した「正義党(1947年結成)」の結成記念日であった。ところが、1955年にクーデターが勃発してペロン大統領が失脚すると彼に由来する艦名は抹消され、翌56年にはアルゼンチン独立戦争の英雄であるマヌエル・ベルグラーノ将軍の名を取った『ヘネラル・ベルグラノ』となり、長らくアルゼンチン海軍の象徴的存在であった。
マルビナス諸島奪還作戦へ
1982年3月19日、アルゼンチンはイギリスが実効支配していたフォークランド諸島(マルビナス諸島)の奪還工作を本格化させた。
3月末日にはアルゼンチン正規軍が活動を始め、在島のイギリス軍の抵抗が少なかったため速やかにマルビナス諸島全域を占領した。
最初は民間人の無許可上陸と言う形で始まったフォークランド紛争は、やがてイギリスが戦略兵器を投入し本格的な武力衝突へと発展した。
5月2日、迫りくるイギリス海軍の艦艇から島を守るべくマルビナス諸島南方を航行していたヘネラル・ベルグラノに対して、イギリス海軍の原子力潜水艦『コンカラー(HMS Conqueror)』が、4発のMk8魚雷を発射。内2発が命中し、撃沈された。
ヘネラル・ベルグラノの沈没では、アルゼンチン海軍の将兵323人が犠牲となったが、これはフォークランド紛争全体におけるアルゼンチン側の戦死者649人の半数近くを占める。