ペルガモンの大祭壇
ぺるがもんのだいさいだん
主神ゼウスに捧げられた祭壇。その為別名を「ゼウスの大祭壇」という。
新約聖書『ヨハネの黙示録』2章に出てくる「サタンの王座」はこれの事である。
神々がティーターンとの戦いに勝利した後に起こったとされる、
巨人族との大戦争「ギガントマキアー」の様子が彫刻されている。
紀元前2世紀に栄えた小アジアのアッタロス朝ペルガモン王国に建てられた。
紀元前180年から紀元前170年にかけて建設が行われた。
神殿建設には、統治者の正当性をアピールする目的もあったようである。
紀元前133年頃、後継者不在による混乱を避けるため、最後の君主アッタロス3世は領土をローマに献上することに決め、
不服とする王位自称者がローマ軍に潰されて以降は属州となった。
この土地が属州となった後もペルガモンは繁栄し、キリスト教が起こるとこの都市にも教会ができた。
都市として栄え、大祭壇も健在であり、信徒が殺される殉教事件もあったが、
ここのキリスト教徒は自己の信仰を強く保っていたようで、
「ペルガモンにある教会」は黙示録では比較的好意的に描写されている。
1878年、建築技師カール・フーマンらは、オスマン帝国入りし、スルタンの許可を得て現地で発掘作業を行い、これを発見した。
一行は建材をドイツ(プロイセン王国)に持ち帰り、ベルリンの地で組み立てなおした。
しかし王国の偉い人によりレリーフ、装飾された柱などは持っていかれてしまい、長らく土台のみだった。
現在はベルリンの博物館島に建つ博物館の一つ「ペルガモン博物館」に移築されている。
移築後に復元作業が行われ、現在では古代ペルガモでの、往時の威容が取り戻されている。
2013年から修復作業が再開されており、2014年9月29日から5年間見学が中止されている。
展示再開は2019年か2020年になるらしい。