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マニー・ラミレス

まにーらみれす

ドミニカ共和国サントドミンゴ出身のプロ野球選手(外野手、指名打者)、野球指導者。

概要編集

マヌエル・アリスティデス・ラミレス・オネルシーダ(Manuel Arístides "Manny" Ramírez Onelcida, 1972年5月30日 - )


台湾球界での登録名は曼 尼(マン・ニー)。 日本の独立リーグでの登録名はマニー。

MLB歴代ドミニカ共和国出身選手として2番目に多い打点を記録している。


1991年6月のMLBドラフトでクリーブランド・インディアンスから1巡目(全体13位)指名を受け、契約金25万ドルで入団。


1994年にメジャーに定着し、安打数、二塁打、本塁打、打点など、ほとんどの打撃カテゴリーでア・リーグの新人中2位の成績をあげ、ア・リーグ新人王投票でも2位となる。


1995年にインディアンスの外野の定位置を確保(右翼)し137試合に出場。最終的に打率.308、31HR、107打点でシルバースラッガー賞を初受賞。


2001年、FAでボストン・レッドソックスに8年1億6000万ドルという破格の金額で移籍。

2005年は 9度目のオールスター出場(5年連続ファン選抜)、8度目のシルバースラッガー賞受賞、MVP投票では4位につける。歴代8人目の8年連続30本塁打・ 100打点を達成。

2008年、5月31日のオリオールズ戦では史上24人目となる500HRを放った。


2008年7月31日にパイレーツを加えた三角トレードでドジャースへの電撃移籍が発表された。


2010年8月30日にウェーバー公示をえてシカゴ・ホワイトソックスへ移籍。


2011年は年俸200万ドルの1年契約でタンパベイ・レイズに移籍した。


2012年2月20日にオークランド・アスレチックスとマイナー契約で合意した事が発表された。


2013年2月に台湾の中華職業棒球大聯盟(CPBL)の義大ライノズとの契約した。家族と離れて長くプレーすることはできないとの理由で退団を表明した。


2013年7月3日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結んだ。


2014年5月25日にシカゴ・カブスとAAA級アイオワ・カブスの選手兼任コーチとして、マイナー契約を結んだ。


2015年2月24日に選手兼任コーチ契約から、新たにカブスの球団フロント契約となり、メジャー・マイナー両方の打撃指導に携わる打撃コンサルタントに就任した。


2017年、四国独立リーグの高知ファイティングドッグスと契約。2018年3月29日に発表された同年シーズンの選手登録には含まれておらず、事実上高知を退団した形となっている。


2020年8月、オーストラリアン・ベースボールリーグのシドニー・ブルーソックスと1年契約を結び、3年ぶりに現役復帰することになった。


MLB通算HR555本、通算打点1831点、シルバースラッガー賞9回、ハンクアーロン賞2回。

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