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概要

明治時代オーストラリアから日本に輸入された血統不詳の牝馬競走馬繁殖牝馬として活躍した。

主な勝ち鞍は横浜ダービー(1900年)、ジャパンセントレジャー(1900年)など。

プロフィール

性別
毛色鹿毛
不明
不明(母父:不明)
生産者不明
馬主ロシア公使館員の誰か
調教師不明
競走成績13戦10勝

略歴

1895年

この年にオーストラリアで誕生したされる。

1899年

9月、日本レース・倶楽部によって競走馬として日本に輸入された。外見からサラブレッドと思われたが血統書が無く、サラブレッド系種とされた。競走馬時代の名前は「ミラー(Mirror)」。

11月21日、横浜競馬場根岸競馬場)のくじ引き豪州競馬でデビューし1着。

11月22日、横浜競馬場の濠州馬ハンデに出走し1着。

1900年

5月14日、横浜競馬場のコスモポリタン景物に出走し1着。

5月15日、横浜競馬場の横浜ダービーに出走し1着。

5月16日、横浜競馬場の混合優勝景物(春)に出走し1着。

11月5日、横浜競馬場の万歳景物に出走し1着。

11月6日、横浜競馬場のジャパンセントレジャーに出走し1着。

11月7日、横浜競馬場の混合優勝景物(秋)に出走し、ゼカウントの2着に敗れた。

1901年

5月13日、横浜競馬場のコスモポリタン景物に出走し1着。

5月14日、横浜競馬場のブリスベーン賞盃に出走し1着。

5月15日、横浜競馬場の混合優勝景物(春)に出走し1着。

11月4日、横浜競馬場の明治22年以来5勝以上に出走し、ホウフィンチの2着に敗れた。

11月7日、横浜競馬場の本邦産濠州産馬に出走し、ゼクラウンの2着に敗れた。

1902年

新冠御料牧場北海道)に購買され、繁殖牝馬となる。優れた成績を残したが、子孫たちはサラブレッド系種として扱われ不遇であった。没年不明。

…しかし、ミラの子孫はその血を牝系で繋ぎ止め、遂にはサラブレッドとして認められる8世代を経過。サラ系の烙印を消してみせた。現在も細々とではあるがその牝系は繋がっており、近年では子孫の一頭であるビッグティアラの仔であるトウケイミラが準オープン級の活躍を残し、繁殖入りしたことが話題となった。

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