ハンバーグ(競走馬)
はんばーぐ
主な勝ち鞍はローレンスリアライゼーションステークス(1898年)、ブライトンカップ(1898年)など。
種牡馬としては1905年にアメリカのリーディングサイアーを獲得。直系子孫は衰えたが母系は非常に繁栄し、近代競馬のバックボーンを支えている。
性別 | 牡 |
---|---|
毛色 | 鹿毛 |
父 | ハノーヴァー |
母 | レディリール(母父:フェロークラフト) |
生産者 | コーネリアス・J・エンライト |
馬主 | ジョン・エドワード・マッデン → マーカス・デイリー |
調教師 | ジョン・エドワード・マッデン → ウィリアム・レイクランド |
競走成績 | 21戦16勝 |
1895年
エンライト大佐がジェームズ・E・キットソンからレディリールを購入。レディリールはハノーヴァーの仔を受胎していた。
エンライト大佐が所有するエルメンドルフ農場(ケンタッキー州)で誕生。
父のハノーヴァーは1895年から5年連続でアメリカのリーディングサイアー。
母のレディリールはハンバーグ以外に目ぼしい産駒は無いが牝系から多くの活躍馬を出した。母父のフェロークラフトはマッチェム系のオーストラリア馬でアメリカで現役生活を送った。
1896年
暴れん坊で手に負えないため、スタンダードブレッドの繋駕速歩競走の世界で知られていた馬主兼調教師のジョン・エドワード・マッデンに売却された。
馬名はマッデン師の所有していたハンバーグ牧場から採ってハンバーグとなった。
マッデン師は「最も調教の難しい牡馬だった」と述べているが、相性の良い少年厩務員に出会ってからは順調に調教をこなせるようになった。
ハンバーグはスタートが上手く、優れたスピードを有していた。
1897年
デビューから活躍し、グレートトライアルステークスではプレビアスに4馬身差を付けて勝つ強さを見せ、グレートイースタンハンデキャップでは新馬なのに135ポンドを課せられたが1着。「若駒として今までにない斤量を経験した馬」と言われた。
この年は16戦して12勝を挙げた。
12月、銅山王のマーカス・デイリーに40,001ドルで売却された。マッデン師はその金でウィンチェスターパイク(ケンタッキー州)に牧場を作り、「ハンバーグ・プレイス」と名付けた。
1898年
ウィリアム・レイクランド調教師に預けられた。
5月26日、ベルモントステークスで始動したが、太め残りが祟ってボーリングブロークの3着に敗れた。
その後は体を絞って復活し勝利を重ねる。
引退レースとなったブライトンカップはオグデンやハワードマンなどの有力馬が出走してきたが全く寄せ付けず大差で1着。
この年は5戦して4勝。
1899年
デイリーが所有するビタールート牧場(モンタナ州)で種牡馬となる。
1900年
デイリーが死去し、所有馬は売却される事となった。
ハンバーグは60,000ドルでウィリアム・コリンズ・ホイットニーに購入された。
1904年
ホイットニーが死去。ハンバーグは競売にかけられ、ホイットニーの息子のハリー・ペイン・ホイットニーが70,000ドルで購入。
1915年
9月10日、ブルックデール牧場で死去(20歳)。
1986年