サイリーン(競走馬)
さいりーん
主な勝ち鞍はジョッキークラブステークス(1898年)、ゴールドカップ(1899年)など。
イギリスで2回、アルゼンチンで1回リーディングサイアーとなった。
性別 | 牡 |
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毛色 | 栗毛 |
父 | ボナヴィスタ |
母 | アルカディア(母父:アイソノミー) |
生産者 | チャールズ・デイ・ローズ |
馬主 | チャールズ・デイ・ローズ |
調教師 | ウィリアム・アーサー・ジャーヴィス |
競走成績 | 11戦9勝 |
1895年
5月28日、実業家兼政治家のチャールズ・デイ・ローズ卿が所有するハードウィックスタッド(バークシャー州)で誕生。両親はいずれもローズの所有馬だった。
父のボナヴィスタは種牡馬として人気が無く、1897年にハンガリーのルイ・エステルハージ王子に売却されたが、オーストリア・ハンガリー帝国でリーディングサイアーとなった。
母のアルカディアは現役時に2勝だったが、母父のアイソノミーは2頭のイギリス三冠馬(コモン、アイシングラス)を輩出していた。
性質は非常に大人しかった。遅生まれの上、成長が遅かったためあまり期待されておらず、ローズはサイリーンをクラシック登録していなかった。
1896年
ウィリアム・ジャーヴィス調教師(ジョン・レイトン・ジャーヴィスの父)に預けられた。成長したサイリーンは見事な馬体となり、ローズはクラシック登録しなかった事を悔やんだ。
1897年
3月、リヴァプール競馬場のセフトンパークプレートでデビューし1着。
その後、ガトウィック競馬場の1000ソヴリンワースステークス、アスコット競馬場のトリエニアルステークス、サンダウン競馬場のナショナルブリーダーズプロデュースステークスと4連勝。
10月、ケンプトン競馬場のインペリアルプロデュースステークスに出走するが、デュードネの2着に敗れる。
1898年
4月、ニューマーケット競馬場のコラムプロデュースステークスで始動するが、3着に敗れる。
5月、ニューマーケット競馬場のニューマーケットステークスに出走し1着。
9月、ニューマーケット競馬場のジョッキークラブステークスに出走。高額賞金レースだったためチェランドリー、ヴェラスケスなど古馬の強豪が相手となったが、ヴェラスケスに6馬身差をつけて圧勝。
サンダウン競馬場のサンダウンパークフォールステークスでは斤量140ポンドを課せられたが馬なりのまま圧勝。
1899年
6月13日、アスコット競馬場のトリエニアルステークスに出走し1着。
6月15日、アスコット競馬場のゴールドカップに出走し、ロードエドワードに8馬身差をつけて1着。しかし、脚を痛めて長期休養となる。
チャンピオンステークスでの三冠馬フライングフォックスとの対戦が期待されたが、回復が思わしくなく引退となる。
1900年
ハードウィックスタッドに戻り種牡馬となる。
1903年
初年度産駒が2勝しかできず、種牡馬としての価値が暴落。
1905年
産駒のキケロがダービーステークスに勝利。ウィリアム・バスに売却され、リチャード・マーシュ調教師が所有していたエジャートンハウススタッドに移動した。
1909年
オホデアグアスタッド(アルゼンチン)に売却され、7月にイギリスを離れた。産駒のミノルがダービーステークスに勝利。イギリスのリーディングサイアーを獲得。
1910年
産駒のレンバーグがダービーステークスに勝利。イギリスのリーディングサイアーを獲得。
1912年
産駒のタガリーがダービーステークスに勝利。
1925年
オホデアグアスタッドで死亡(30歳)。