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ボナヴィスタ

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ぼなゔぃすた

イギリス生産・調教の競走馬・種牡馬。サイリーンの父として知られ、オーストリア・ハンガリー帝国でリーディングサイアーとなった。

略歴

1889年

第5代ローズベリー伯爵(アーチボルド・フィリップ・プリムローズ)の夫人ハンナの実家であるロスチャイルド家の邸宅「メントモア・タワーズ」(バッキンガムシャー州)にあるメントモア&クラフトンスタッドで誕生。

父のベンドアは現在のサラブレッドの80%が属する血統の祖である。

母のヴィスタは現役時代にプリンスオブウェールズステークスグレートメトロポリタンハンデキャップを勝ち、繁殖牝馬としてはサーヴィストヴェラスケスを産んだ。母父はレオポルド・ド・ロスチャイルド所有のマカロニで、優秀な繁殖牝馬の父として知られていた。

1890年

ニューマーケットで行われたローズベリー伯爵主催の競りに出された。実業家政治家のチャールズ・デイ・ローズ卿が購入し、ウィリアム・ジャーヴィス調教師(ジョン・レイトン・ジャーヴィスの父)に預けられた。

1891年

5月26日、エプソム競馬場ウッドコートステークスでデビュー。ピルグリムスプログレスエルディアブロなどの有力馬も出走していたが、1番人気に応え、ピルグリムスプログレスに1馬身差をつけて勝利。

6月11日、アスコット競馬場ニューステークスに出走し、ゴールドフィンチの3着に敗れた。

7月16日、ニューマーケット競馬場のチェスターフィールドステークスに出走し、ラフレッチェの3着に敗れた。

1892年

4月19日、ニューマーケット競馬場のバイエニアルステークスで始動し1着。

5月3日、ニューマーケット競馬場の2000ギニーステークスに出走し1着。しかし、同世代のラフレッチェやオームが出走しておらず、評価は低かった。

6月1日、エプソム競馬場のダービーステークスに出走し、サーヒューゴの11着に敗れた。

6月、アスコット競馬場のプリンスオブウェールズステークスに出走し、ウォータークレスの7着に敗れた。レース中に靭帯を損傷し引退となる。

1893年

ハードウィックスタッドバークシャー州)で種牡馬入り。種付け料は25ギニーと安かったが人気はなかった。

1897年

ハンガリールイ・エステルハージ王子に購入され、オーストリア・ハンガリー帝国のキシュベルスタッドで供用された。産駒のサイリーンがイギリスで大活躍し、人気種牡馬となる。

1902年

1905年まで4年連続でオーストリア・ハンガリー帝国のリーディングサイアーとなる。

1908年

オーストリア・ハンガリー帝国のリーディングサイアーとなる。

1909年

死亡(19歳)。

主な産駒

サイリーン ボナローザ ローズツリー ヴァーレン ヴェレクヴォルギー ボノモド オリエント パーシアス

母父として

ザテトラーク ローマー

ボナヴィスタの直系はサイリーンからポリメラスファラリスを経由して全世界に広がった。ヴァーレンの仔のザテトラークは「近代競馬のスピードの源泉」とされる。

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