概要
ライナーと化したトレーナーのことであり、多くのトレーナーたちも経験したことである。
どうしてこんなタグができたか
『ウマ娘プリティーダービー』においてトレーナーが出来ることは、担当ウマ娘のスキルの習得、練習の指示、レースの出走、及び育成に使用するサポートカードの編成だけ。
いざレース本番となり、ウマ娘達がパドックに入ると、我々トレーナーはもうなにも出来ない、自らが育てたウマ娘が走り、ゴールするのを見るだけである。
肩慣らし程度に出走したGⅢでも、めぼしいレースがないから出走したGⅡでも、あるいは名誉を欲して出走したGIでも、ウマ娘が目標としたレースであっても、三冠の掛かった重要なレースでも、有馬記念でさえも、トレーナーは見守ることしかできない。
勝つ事が出来れば良い、自らの育成方針が正しかった、ウマ娘の努力が実った事の証左であろう。
…ではもし負けたなら? ウマ娘の努力不足だろうか? トレーナーの方針が間違って居たのだろうか? あるいは運が悪かった?
答えはわからない、だが如何なる理由であっても「ウマ娘は自分の力量が足りなかったことを悔やむ」のだ。
どんな適当なトレーニングを課そうと、四六時中お出かけデートしてようと、適性に合わないレースに出走させようと。
ウマ娘は適性によって1.05倍から0.1倍までの補正が掛かる、つまり適性外レースに出走して負けた場合、基本的には「(継承によるフォローなしに分かってて出走させた)トレーナーのせい」であるにも拘らず(ごく稀に適性外レースに出走したがるウマ娘も居る)
「勝てなかったのは自分の実力が、才能が足りなかったからだ」
と、そう言って泣くのである。
それを聞いたトレーナーは……
「何故だ? トレーナー、なんでウララは適性と真逆の有馬記念に出走した?」
「……それは…目標レースに設定されてたから……」
「何故目標に設定された?」
「……ウララが初めて勝ちたいと思ったレースだから……」
「何故ウララはよりによって有馬で勝ちたいと思った?」
「それは…俺が有馬が最高の舞台だって言ったから……」
「そうか……最高の舞台に出たい、そこで勝ちたいってウララが言ったなら…仕方ないよなぁ……」
「…違う…違うんだ! ウララの適性や運のせいじゃなくて…あの時、ウララが有馬に出たいって言った時…ダートウマ娘の舞台である東京大賞典を勧めることもできたのに(※)……俺は背中を押して…目標を続行させたんだ……俺はウララを英雄にしたかった! 誰かに尊敬されて欲しかった! 認められて欲しかった!! ……俺が悪いんだよ ウララが 1着を取れなかったのは 俺のせいだ!! もう… 嫌なんだ 自分が… 俺を…殺してくれ… もう…消えたい…」
責任感と罪悪感に押し潰され、ただライナーになるのみである。
※…東京大賞典は中距離であり短距離型であるハルウララの適性外ではあるが、ダートコースであり、距離因子だけフォローすればいいため、芝長距離で両方ケアしなければならない有馬よりは現実的な目標となる。
余談
例として挙げられているハルウララの有馬記念だが、実は着順固定=負けイベントではないので勝たせることも可能。逆を言えばハルウララが負けたのは、システム的制約でもストーリー的都合でもなく「(育成中の)ハルウララに才能がなかった」という無慈悲で残酷な現実が理由になってしまう。
ストーリー的には「走ってるだけで楽しく、勝敗が二の次だった娘が、初めて勝ちたいと思ったレースで無慈悲に惨敗して本当のレースを知り、各ウマ娘共通シナリオ最終レースに挑む」という流れなので、必要な敗北ではあるのだが、三年間ハルウララを担当したトレーナーは「育成によっては勝たせられるのに勝たせられなかった→自分が悪い」となるのである。
ごく稀に人格が分裂してしまい、自分が「お兄さま(ライスシャワーのトレーナーの呼称)」なのか「おにいちゃん(カレンチャンのトレーナーの呼称)なのかわからなくなっているタイプのライナーも存在する。