概要
神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン1世により創設されたが、実際の生みの親はゲオルク・フォン・フルンツベルク。
前身は15世紀にブルゴーニュ公の代官が南ドイツから集めたスイス風の長槍歩兵部隊と言われ、スイス傭兵を手本にしていたが、同時にスイス傭兵とは激しいライバル関係にもあった。
主な武器は槍。両手剣などの様々な剣も用いて戦い、火縄銃や大砲も用いた。
身にまとう洋服はけばけばしい色彩で、上着にスリットを入れて下着の色を出し、左右で模様や色の違ったスタイルで、もちろんこのままの服装で戦闘を行った。
この格好はマクシミリアン1世による「いつ死ぬかわからぬ危険な立場の彼らの、せめてもの楽しみとして、好きな格好をして良いではないか」という言葉で認められたものであったが、周りからはこのスタイルは「趣味が悪い」としてたいへん受けが悪かったという。
スイス傭兵とはいわば師弟の関係になるが、同時に商売敵でもあった為、戦場で両者が対面した時は特に凄惨な戦闘が繰り広げられたという。
三十年戦争でも戦い、彼らが大活躍したからこそ戦後のドイツの人的、経済的被害は壊滅的になったとも言われている。
その中で行われた「パヴィアの戦い」でフランス王フランソワ1世を捕虜にする大活躍をしたが、カール5世がランツクネヒト達に十分な報酬を支払わなかったことが原因でローマ劫掠(ごうりゃく)と呼ばれる凄惨な略奪・虐殺・破壊・強姦などを行ったことにより、ランツクネヒトの勇猛さと武勇は悪名と恐怖の対象となってしまった(ただ、ランツクネヒトに限らず、ドイツ兵にはカトリックを憎むルター派が多かったという)。