ピクシブ百科事典

山田長政

やまだながまさ

山田長政とは、江戸時代前期にシャム王国(現:タイ王国)に渡り、現地で活躍した日本の武士。
目次[非表示]

概要

江戸時代前期に日本からシャム王国(現在のタイ王国)に移住し、日本人を中心に東南アジアで活躍した武士。通称は仁左衛門(にざえもん)。

人物

出生は駿河国(現:静岡県中部・北東部)の駿府馬場町とされるが、伊勢尾張とする説もある。
沼津藩の藩主「大久保忠佐」に仕え、駕籠かき(駕籠を担ぐ人)をしていたが、1612年に朱印船に乗って長崎から台湾を経てシャム(現:タイ)に渡り、「津田又左右衛門」筆頭の日本人傭兵隊に加わって頭角を現し、後にアユタヤ郊外の日本人町の頭領となった。

スペイン帝国の艦隊によるアユタヤへの侵攻を、二度に渡っていずれも斥けた功績によりスコータイ王家のアユタヤ王朝24代国王であるソンタム王(ボーロマトライローカナートソンタム王、ボーロマラーチャー1世)の信任を得て、オークヤー(後にプラヤーと呼ばれた)・セーナーピムック(タイ語:ออกญาเสนาภิมุข)という王国の第三官位・欽賜名を授けられ、チャオプラヤー川から入る船から税を取る権利を得た。
この際、長政はシャム王国王女と結婚したという伝説が存在するが、タイ側の記録に該当する人物が存在しないため、真偽は不明。

ソンタム王の死後、長政は王の遺言に従い、エーカートッサロット王の隠し子と云われるシーウォーラウォン(後のプラーサート・トーン王)と共同でチェーター親王を王に即位させた。しかし、チェーター王はシーウォーラウォンに不審を抱いたことで彼を排除すべく政争を展開し失敗、シーウォーラウォンに処刑されてしまった。

その後、チェーターティラートの弟のアーティッタヤウォン王が即位したが、あまりに幼すぎるので、官吏らはそのころチャオプラヤー・カラーホームスリヤウォンに昇進していたシーウォーラウォンに王位につくように願った。
長政はこれに頑固に反対したために、宮廷内で反感を買った。更にこの時、当時アユタヤの貿易を独占していた日本人勢力と火花を散らしていた華僑勢力の圧力が宮廷内に及び、長政は六昆(リゴール)の防衛を理由にシーウォーラウォンによって左遷されてしまう。

1630年、長政はパタニ軍との戦闘中に脚を負傷し、傷口に毒入りの膏薬を塗られて死亡したとされる。
暗殺はプラーサート・トーン王(シーウォーラウォン)の密命によるものとオランダの史料は記している。その後、ナコーンシータマラートの知事は息子のクン・セーナーピムックが引き継いだが、内部対立があり同じ日本人傭兵によって殺された。
そして長政の死と同じ年にシーウォーラウォンは「日本人に謀反の動きあり」としてシャイフ・アフマド・クーミーらに日本人町の焼き討ちを命じ、住民は虐殺された。

この事件以降、日本人勢力はアユタヤ王朝における軍事的・政治的な力を完全に失った。
1632年に焼き討ちから海外に逃れていた日本人400人程度が再び集まって日本人町を再興するが、1635年の江戸幕府の鎖国令によって帰国することもできなくなってしまった。その後、18世紀初頭頃まで続いた日本人町だったが、徐々にタイ族に同化し、自然消滅していった。

登場作品

タイ映画

  • 山田長政 王者の剣

1959年5月1日公開の時代劇アクション。日本・タイの合作映画。
主演は長谷川一夫、監督は加戸敏が務めた。

  • ヤマダ アユタヤの侍
2010年公開の映画。
監督はノッポーン・ワルティン氏、長政を演じているのはタイを拠点に活動している日本人俳優大関正義
更に共演にはK1ファイターブアカーオ・ポー.プラムック選手が出演している。
大関は日本での出演作品は殆ど無く、タイでの活躍は全く報道されていないため、日本での知名度はかなり低いが、現地タイでは「セキ・オーセキ」とも呼ばれ、知らない人はいないほど有名である。

『タイ・アカデミー賞2011』において『視覚効果賞』『メイキャップ賞』『作曲賞』の3部門にノミネート。

ゲーム

 コーエーテクモの歴史シミュレーションゲーム。長政が仕官したアユタヤ朝が選択可能な勢力として登場(当時の日本は室町時代扱い)。

シリコンスタジオが運営しているソーシャルゲーム。彼をモデルとする同名の美少女キャラクターが登場する。

関連タグ

日本 タイ
武士
戦士 兵士

pixivに投稿された作品 pixivで「山田長政」のイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 959

コメント