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概要

岩手県競馬組合が盛岡競馬場ダート2000mで施行する地方競馬の重賞競走(M1)である。レース名の「一條」とは、東北の馬産発展に貢献し旧盛岡競馬場を設計した「一條友吉」から。

岩手の古馬ナンバーワン決定戦として1973年に創設された。開催時期については多少ばらつきがあるものの、主に6月に開催されている(「歴代優勝馬」の項を参照)。第1回から第18回までは盛岡競馬場、第19回以降は水沢競馬場施行されている。例外として、1996年の第24回は盛岡競馬場の移転に伴い水沢で、2011年、 2016年は盛岡で代替開催された。

長らく岩手所属馬のみを対象に施行されてきたが、2001年に東日本地区所属馬に開放され、翌年にはさらに九州地区が加わり、2005年からはJRA所属馬を除く全国の地方所属馬に開放された。また、2004年には同じく盛岡で行われる統一重賞[[マーキュリーカップ€へのトライアル競走に指定され、上位2着までに同競走への優先出走権が与えられるようになり、2006年からは1着馬のみ同競走への優先出走権が与えられる。このように、全国的な位置付けとしては岩手のローカル重賞となっているが、歴代の優勝馬には岩手競馬を代表する名馬が名を連ね、現在でも岩手競馬が主催する競走の内で最も権威あるもののひとつである。また、本競走の勝ち馬は岩手競馬所有の馬運車にその名前が転用されることが慣習となっている。

当初はファン投票レースとして創設され、現在は桐花賞に継承されている。また、岩手競馬では1972年以前の重賞レースは農林大臣賞典や岩手県知事賞典等と呼ばれていた。この頃から競走番組の商品化・ソフト化を推進し始めたが、主導した中心人物が「岩手競馬中興の祖」と称される藤原正紀である。

創設当時は重賞レースと特別レースの位置付けが曖昧であり、文献によってみちのく大賞典が岩手競馬初の重賞レースという説と、レース名称がついた最初の重賞レースという2つの説が存在する。1971年と1972年で一部不明な記録があったりするため、正確にはわからないようである。 当時まだビデオテープが高額で、録画してもすぐに消去されて別の番組に使い回されることが普通だったことから、同レース最古の映像は1978年の第6回という説がある(それより以前の映像が放映されていないに等しいため)。但し、ビデオテープの映像が劣悪で放映できない状態だったり、ニュースフィルム等で現存している可能性はある。

2001年からは、岩手のみならず日本の馬産界に多大な功績を残した岩手出身の一條牧夫、友吉親子の名前を後世に残すため、レース名称を一條記念みちのく大賞典と変更された。しかし、一般的にはみちのく大賞典と呼ばれ親しまれている。

2016年に、岩手競馬で重賞格付け制度がスタートし、M1に格付けされた。

競走条件

出走条件

サラブレッド系3歳以上、岩手所属。

トライアル競走の「あすなろ賞」で上位3着までに入った馬に本競走への優先出走権が与えられている。

負担重量

定量、3歳55kg、4歳以上57kg、牝馬2kg減。

優先出走権付与

優勝馬にマーキュリーカップの優先出走権が付与される。

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一條記念みちのく大賞典
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一條記念みちのく大賞典
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