概要
アメリカ合衆国のジャズミュージシャンであるアート・ブレイキーの言葉であり、1961年に彼をはじめとしたジャズ・メッセンジャーズが日本へ初公演に訪れた際、日本人ファンたちに他国のような差別意識無く温かく迎えられたことに感激し、公演を終えて帰国する前に述べている。
詳細
ブレイキーが率いるジャズ・メッセンジャーズは、代表曲である『モーニン』をはじめとした名曲を生み出し、多くの公演を成功させ上記の曲を収録したアルバムも大ヒットを記録するなど一世を風靡してジャズ界に大きな影響を与え、遂に世界を回る公演ツアーが開始された。
しかし、彼らは母国であるアメリカも含め、アフリカ以外の世界各国で黒人である故の人種差別意識により、人気バンドでありながら旅先で度々に不当で理不尽な扱いを受けていた。
そのため、1961年に日本へ初公演に訪れた際も、戦時中はアメリカと敵国同士だったために(終戦からまだ20年も経っていなかったこともあり)、恨みから酷い扱いを受けるのではと不安がっていた。
だが、いざ日本に来てみればそんな彼らの心配とは裏腹に、日本人ファンたちにはそれまで回った国々における人種差別意識は全く無く、むしろ逆にブレイキーらを一目見ようと空港に大勢が歓声と共に殺到し、中には彼らに手を振ったり花束を持ったファンも少なくなかった。
ブレイキーはその信じられない光景と雰囲気からは感極まって号泣し、その後にスピーチを求められた時も涙で上手く話すことが出来なかった。
あるファンから記念写真を頼まれた際も驚いて「俺は黒人だぞ? 一緒に写真に収まってもいいのかい?」と語るが「そんな事知ってます。ぜひ一緒に!」と答えられ、大喜びして撮影に応じたという。
そして日本での初公演は見事に大成功を収め、終了後に帰国する際にブレイキーは
「俺は今まで世界を旅してきたが、日本ほど俺の心に強い印象を残してくれた国はない。それは演奏を聴く態度は勿論、何よりも嬉しいのは、アフリカを除いて、世界中で日本だけが我々を人間として歓迎してくれたことだ。人間として! ヒューマンビーイングとして!」
と語っていたという。