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中正24式小銃

ちゅうせいにいよんしきしょうじゅう

中正二四式小銃とは、中華民国(後の台湾)製のボルトアクションライフルである。大元帥小銃、蒋介石歩槍、79式步枪とも。
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概要編集

ドイツのモーゼル・スタンダードを後に台湾となる中華民国で改良して誕生したボルトアクションライフル。総生産数は約60万丁ほど。

1932年の中国国家装備規格会議で、国民革命軍の標準装備をモーゼル・スタンダードとすることが決まり、1934年にドイツから機材と共に1万丁を調達、その翌年、表記の変更を含め中国軍での使用に適した小改良が施された。中華民国暦で民国24年であることや元となったモーゼルスタンダードの開発が1924年なため二四式小銃と呼ばれるようになり、その後、軍閥時代を制覇し総統になった蔣中正からとって中正式、日本や共産党では一般的なあざなである蒋介石にちなんで蒋介石式と呼ばれるようになる。


1935年7月に公県兵器廠で生産が開始されたものの、中国の工業生産力の不足や日中戦争中ゆえのごたつき、そして共産党との内戦の影響で製造が滞り、劣勢となったことで鹵獲対策で移転を続けて品質が悪化したり、最終的に生産が既存の漢陽88式小銃の生産が優先されたりして、結果として旧式である漢陽88式小銃を置き換えることが出来なかった。

その一部は共産党軍や日本軍に鹵獲され、共産党では79式として戦後も二線級装備として使用・生産された一方、日本ではモーゼルスタンダードと混ぜられて使用されたため、モーゼルのコピーとして扱われる事が多い。


朝鮮戦争時、在庫が中国人民志願軍へソ連の供与銃器と共に渡された。この時、鹵獲して倉庫に仕舞われてしたKar98Kも渡されており、この小銃と間違われるようになった。

その後は1970年代まで予備兵器として使用され続け、その後は今日に至るまで儀礼用小銃として使用されている。


国民革命軍の狙撃手、董 志 野(Tung Chih Yeh)が使用したことで有名であり、揚子江地域で100人以上を狙撃したと言われている。


主なバリエーション、派生型編集

55式小銃

中華民国国民革命軍第18集団軍が自領内でコピーしたモデル。司令官だった朱徳の55歳の誕生日を記念して55式と名付けられた。


性能編集

全長1110mm
銃身長600mm
重量4.08kg
使用弾薬8mm IS弾(7.92×57mm)
装弾数5
口径32口径

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