後述の理由もあり、pixivにおいては「二千恵」タグのほうが機能している。
概要
「ねじまきカギュー」作中のメインの舞台である「私立 花は桜木学園」の理事長を務める人物……なのだが、その容姿や言動は教育者とは思えない程に陽気・ハイテンション・破天荒である。また、秘書をナチュラルに蹴飛ばしたりするなど中々のサディスト。ちなみにベジタリアン。同学園の生徒会長を務める二千恵衿沙は彼の実娘、葱沢鴨(カモ先生)の恩師(のオリジナル)である小島風蘭は彼の妻である。
「私立 花は桜木学園」は「絶対個性主義」という理念を掲げており、生徒の尊厳を重んじている……と言えば聞こえはいいのだが、実際は本人が個性だと宣言すれば何をしてもいいという治外法権に近い有様であり、犬塚紫乃のような規則を重んじる物が風紀委員長に立つ(個性を発揮する)ような事がない限り、無法地帯と化す危険性すら孕んでいる(逆に言えば、そんな魔窟とも言える学園をまとめ上げ維持しているあたり相当優秀な人間であることが窺える)。そして、「敗けた個性に価値なし」という言葉の通り、各々の個性をぶつけ合う争いにおいて敗れた者には誰であろうと容赦のない措置を取る。
そんな理念を掲げいている事もあり、常に想い人に対して一直線であり周囲にも多大な影響を与えている鉤生十兵衛(カギュー)に大きな興味を抱いている。また、カギューの想い人であるカモ先生に対しては最初は完全に個性のないモブ扱いをしていたものの、カギューと仲間たちの戦いの中で真摯に生徒たちと向き合う姿を見て「私が長い間追い求めていたモノを持っている」という評価を持つようになった。
名前のモデルはおそらくフリードリヒ・ニーチェ
※前作の「トラウマイスタ」では芸術家をはじめとする文化人などを由来とした人物名をつけていた、なぜ前作から出すのかについては後述の「前身:二千恵」を参照。
本性
先に言ってしまうと、二千恵理人は生まれつき感情を持っていない。作中で垣間見られる表情や感情表現は全て演技である(それを最初に気づいた人物は実父の二千恵昭人)。
彼が唯一理解できていないでいる感情が「愛」であり、「絶対個性主義」を掲げているのも感情豊かな思春期の子供を競わせ観察する事で愛という物の存在を確認するためである。「本当の愛」を理解・実感していないが故に、実娘である衿沙に対しても親らしい愛情を示すことができず、そのせいで衿沙は辛い幼少期を過ごすことになる(本人は「愛を注ぎたくないわけではない」と発言しており、衿沙にはそれなりの関心を持っていたが、彼女が理事長御前試合に敗北した後は完全に見限っており、娘を「道具」としか思っていないことを窺わせる)。
カギューに興味を持つのもカモ先生に対しての愚直すぎるほどの愛を持っているが故であり、同様に全ての生徒を等しく愛そうとするカモ先生も観察の対象として見ている。
愛を理解するという名目で生徒同士を競わせ、敗れた生徒を容赦なく切り捨てる様は教育者として如何としがたい姿であるが、彼にはそれ以上におぞましい過去が存在する。
過去(誕生~衿沙出産に至るまで)
少年時代
「神童」ともてはやされるほど成績優秀な優等生だったが、先天的に人間らしい感情が欠如しており、すべての物事を合理的かつ効率主義的な視点で見ていたため、「本当の愛」の存在を一切実感していなかった。自身に溺愛する実母の言葉を真に受け、「経済的に問題は無く、自分の身の回りの世話もできる歳になった」という理由と、愛の存在を確かめる「実験」のため、実母に命を投げ出させ、「事故死」に見せかけ殺害。実母の死をなんとも思わず、むしろ「自分の命より大事なものを守る行為」を愛情行為であることを認識するようになっていた。
青年時代
成人後は教師に就任。風蘭と付き合うようになり結婚するが、衿沙の出産で意識不明となった風蘭を私有地である赤ヶ島の別荘に監禁した。
結末
最後の戦いにおいて、カモから「自身にも愛がある」事を示され、『良心の呵責』により自殺(首を絞めた痕は他人によるものであると云う奇妙な最期)を遂げた。
前身:二千恵
「トラウマイスタ」における黒幕。チャンドラ・カンパニーの「社長」。文化、宗教、倫理観、言語、通貨、政治体制など全ての価値観を統一した理想郷「シャングリラ」を作るため暗躍する。
サディスト、ベジタリアンなどの共通点も見られ、中山敦支が同一人物であることをほめのかす発言をしている。ただし、両作品の明確な繋がりは現在示唆されておらず、同一人物であるかは現在不明である(スターシステムの可能性もあるかもしれない)。