曖昧さ回避
概要
1976年7月6日、埼玉県浦和市(現・さいたま市)に生まれる。
3歳の誕生日に両親からポケバイをプレゼントされ、5歳でポケバイレースデビュー。11歳でミニバイクにステップアップし、めきめきと頭角を現した。
1992年にロードレースにデビュー。16歳で運転免許(中型二輪、現在の普通二輪)とサーキットライセンスを取得。熊本県のレーシングチームに所属し、九州選手権の3クラス(GP250、GP125、SP250)全てで優勝しチャンピオンとなる。
1994年に国際A級ライセンスを取得して全日本ロードレース選手権にフル参戦。同年終盤のTI英田サーキットで初優勝。1997年にはホンダワークスのカストロール・ホンダに所属。GP250クラスで8勝を挙げ、初の年間チャンピオンを獲得した。
2000年よりイタリアの「グレシーニ・レーシング」に所属し、ロードレース世界選手権(WGP)のGP250クラスにフル参戦。4勝を挙げてランキング3位。翌年のシーズンはアプリリアの原田哲也と一騎打ちとなることが多かったが、結果はシーズン最多タイの11勝を挙げ、初の世界チャンピオンに輝く。この功績を称えられ、翌年に文部科学省から「スポーツ功労者顕彰」が贈られた。
2002年よりMotoGPにステップアップ。シーズン初めは2ストロークのNSR500で参戦したが、この年から新たに投入された4ストロークのRC211Vには遠く及ばず低迷。それでもスペインGPで2スト最上位タイの2位に入り、10戦目からRC211Vを供給されるが、この年は優勝を挙げることができないままシーズンを終えた。
そして2003年4月6日、第1戦の日本GP(鈴鹿サーキット)で予選11位からスタート。3周目に130Rの立ち上がりでバランスを崩してシケインのタイヤバリアに激突。ドクターヘリで緊急搬送されたが、最後まで意識が戻らないまま4月20日に脳幹梗塞のため死去。まだ26歳の若さであった。
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