概要
天城は、日本海軍が太平洋戦争期に量産した雲龍型空母の2番艦。
艦名は静岡県伊豆半島の中央にある天城山に因む。天城の名を持つ艦としては3隻目に当たり、その他の命名候補として那須があったといわれている。
1944年8月10日に竣工、1番艦の雲龍と第1航空戦隊を編成した(10月には3番艦の葛城が編入された)ものの、これら3隻に載せるための母艦航空隊(第601海軍航空隊)は台湾沖航空戦とレイテ沖海戦に投入されて消耗してしまった。
レイテ沖海戦の敗北後、日本海軍は大型水上艦艇を動かす燃料が絶望的に不足し、天城が本来の空母として出撃する機会はなかった(雲龍は高速輸送艦として使われ沈没。前述の第601海軍航空隊も結局基地航空隊となった)。1945年3月の呉軍港へのアメリカ軍機による最初の空襲で小破、以後葛城と共に対空擬装を施されて対空砲台として疎開係留されていたが、7月の二度に亘る再度の空襲で被弾、浸水し遂に横転、着底し行動不能となり、そのままの状態で終戦を迎えた。
1946年8月にアメリカ海軍により撮影されたカラー写真は、世界的に有名である。
戦後、引き揚げられて函館港で青函連絡船修理用のポンツーンとして使用する案が出て、実際に函館港まで曳航されたが、到着する頃には青函連絡船の修理は函館船渠が請け負うことが決定していたため、結局解体処分されることになった。
先代(二代目)天城
二代天城は八八艦隊計画に属する天城型巡洋戦艦の一番艦であった。詳細は天城(巡洋戦艦)を参照。
こちらもワシントン海軍軍縮条約を受けて姉妹艦赤城と同様空母に改装される計画があったが、関東大震災で破損し取りやめられた。
架空戦記では関東大震災が発生しなかったなどの理由で、空母「天城」が実現したものもいくつかある。
『傭兵空母”天城”』