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小協商

しょうきょうしょう

1920年代に結成された同盟関係。主にオーストリアとハンガリー王国への牽制を目的としていた。
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背景編集

第一次世界大戦にて、オーストリア=ハンガリー帝国は敗戦。

その結果、チェコスロヴァキアは独立し、ユーゴスラヴィア王国が建国された。さらにはハンガリー・ルーマニア戦争に勝利したルーマニア王国トランシルヴァニアを獲得した。

さらに、第一次世界大戦にて勝利した連合国はハンガリーが再び大国化する事を阻止するべくトリアノン条約を締結した。


概要編集

しかし、この結果をオーストリアハンガリー王国は気に入らず、(特にハンガリーは)失地回復を目論んでいた。その結果、ハンガリーに対抗するべくチェコスロヴァキア、ユーゴスラヴィアとルーマニアが相互援助条約を締結した。


小協商が完全に結成された1921年、ハンガリーにてハプスブルク家皇帝に復活する動きがあったものの、小協商三国が軍隊をハンガリー国境に集結させて牽制したため、ハプスブルク朝復活を未遂に終わらせる事に成功した。


瓦解編集

その後も小協商は持続したが、1938年にチェコスロヴァキアの解体によって事実上集結した。ドイツがハンガリーやポーランド共和国と共にチェコスロヴァキアに領土を割譲させたのだ(ちなみにその直前に、オーストリアはドイツによって併合されている)。さらに翌年にはスロヴァキア共和国がドイツの影響下で独立し、チェコはドイツによって併合され、スロヴァキア南部及びカルパト・ウクライナ共和国がハンガリーに併合されたことによりチェコスロヴァキアは消滅。小協商は瓦解した。


その後編集

チェコスロヴァキア解体後もルーマニアとユーゴスラヴィアは独立国であったが、西にドイツ(とその友好国のハンガリー)、東にソ連という大国に挟まれて不利な状況にあった。


そして第二次世界大戦が勃発すると、ルーマニアはソ連による圧力によってベッサラビアと北ブコヴィナを割譲させられた。さらにドイツは第二次ウィーン裁定を可決し、トランシルヴァニア北部をハンガリーに割譲させられた。しかしその代わりにルーマニアはドイツによる安全保障が約束され、後にルーマニアはハンガリーと共にドイツ率いる枢軸国に加盟した。


さらにその動きを見たユーゴスラヴィアも枢軸国へと加盟した。しかし、その後に反枢軸クーデーターが勃発したため、ドイツ、イタリア王国、ハンガリー王国とブルガリア王国は共にユーゴスラビアへと侵攻。結果、ユーゴスラヴィアは降伏し、小協商は完全に消滅した。


関連タグ編集

チェコスロヴァキア

ルーマニア王国

ユーゴスラヴィア王国

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