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ルーマニア王国

るーまにあおうこく

かつて東欧に存在した王国。1947年に、ソ連による圧力によって王政が廃止されて法的に消滅した。
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概要編集

かつてはオスマン帝国の支配下にあったが、1877年に独立を宣言。1881年にカロル1世が国王に即位したことで、正式な独立国となった。


1912年における第一次バルカン戦争においては中立を保ったが、第二次バルカン戦争にてブルガリア王国へと侵攻し、南ドブロジャを支配することに成功した。


第一次世界大戦にて連合国として参戦するも、中央同盟軍相手に敗北し、ブカレスト条約が締結されて南ドブロジャ及び北ドブロジャの南部をブルガリア王国に割譲することになった。しかし、大戦そのものは連合国が勝利。ヴェルサイユ条約によりブカレスト条約は破棄されることになり、さらにトリアノン条約が締結されたことによりブゴビナトランシルヴァニアベッサラビア、そして一時喪失したドブロジャを獲得。結果、大ルーマニアが実現されることになった。


さらに、トリアノン条約締結前に勃発していたハンガリー・ルーマニア戦争にて(条約締結後)ルーマニアは勝利した。後にルーマニアはチェコスロヴァキアユーゴスラヴィアと共に小協商を形成。これによってトリアノン条約に不満を持つハンガリー王国への牽制に成功した。


しかし、ロシア革命の影響を受けた極左の共産主義勢力がルーマニアでも活動していた。しかしそれに反対する極右勢力の鉄衛団が国王・カロル2世と組んで政治的影響力を増して行く。しかしカロル2世は鉄衛団を利用しようと考えていたに過ぎず、後に鉄衛団のリーダー・コルネリウ・コドレアヌを処刑。さらに政府を解散させ、自身の独裁体制を敷いた。さらにはドイツによるチェコスロヴァキア解体により、小協商も実質的に瓦解した。こうして、ルーマニアを含めたヨーロッパの情勢は不安定になってきた。


1939年、ドイツがポーランドへと侵攻。それにより大英帝国フランス共和国がドイツに宣戦布告したことにより第二次世界大戦が勃発。さらにはソ連までもがポーランドへと侵攻し、ヨーロッパの情勢は複雑化していった。

大戦当初、ルーマニアはイギリス陣営(連合国)と友好関係を築いて中立を保っていた。そんな中ドイツ陣営(枢軸国)がポーランド、やフランス等次々と降伏させていった。さらにドイツと不可侵条約を結んでいたソ連は冬戦争によってフィンランドの領土を一部割譲させ、バルト三国をも占領した。


その後、ソ連はルーマニアに領土を割譲するように圧力をかけ、ルーマニアはソ連にベッサラビアと北ブコヴィナを割譲。さらに第二次ウィーン裁定によって、ドイツの後ろ盾を得たハンガリー王国には北トランシルヴァニアを、さらにはクラヨーヴァ条約によってブルガリア王国には南ブロジャを割譲することになった。


一連の領土喪失に関して、カロル2世は無関心であった。これに関してルーマニア国民は不満を持つようになり、鉄衛団と組んだイオン・アントネスクがクーデターを起こし、カロル2世を退位させて王位をミハイ1世(カロル2世の子)に譲らせて枢軸国に加盟した。ちなみに、鉄衛団は後にアントネスと仲違いし、彼に対して反乱を起こすも鎮圧された。


1941年、ドイツは不可侵条約を破棄してソ連へと侵攻(独ソ戦)。ルーマニアもイタリア王国、ハンガリー王国、スロヴァキア共和国クロアチア独立国フィンランド共和国と共に同戦争にドイツ率いる枢軸陣営として参戦。ベッサラビアや北ブゴヴィナを奪還するも、スターリングラードの戦いにおける枢軸国軍の敗北によりソ連軍による反転攻勢に遭った。


その後、枢軸国の不利を確信したミハイ1世はクーデターを実行し、アントネスクを解任させた。その後、ルーマニアはドイツと国交断絶。その後ドイツ空軍がルーマニアの首都・ブカレストを空爆したため、ルーマニアはドイツに対して宣戦布告。同じく枢軸国を抜けたブルガリアと共に、ソ連軍による占領下でドイツやハンガリーを相手に戦った。


戦後、ルーマニアはハンガリーから北トランシルヴァニアを奪還したものの、ベッサラビアや北ブゴビナはソ連領、南ドブロジャはブルガリア領のままとなった。ちなみに、ソ連により強制連行された13万人ものルーマニア兵捕虜は行方不明になるなどした。


そして、1947年にソ連の圧力によってミハイ1世は退位させられ、ここにルーマニア王国は滅亡した。


崩壊後編集

その後ルーマニアはルーマニア共産党による独裁政権にしてソ連の傀儡国・ルーマニア人民共和国に移行した。

しかしルーマニア革命によりニコラエ・チャウシェスクが処刑され、ルーマニアは民主化を果たして欧州連合NATOに加盟した。


関連タグ編集

ルーマニア

第二次バルカン戦争 第一次世界大戦 ハンガリー・ルーマニア戦争 第二次世界大戦

カロル1世 フェルディナンド1世 カロル2世 ミハイ1世

イオン・アントネスク

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