概要
1882年、ルーマニア王国にて誕生。
ルーマニア軍の軍人として、第二次バルカン戦争、第一次世界大戦とハンガリー・ルーマニア戦争に参加し、全てにおいて勝利。
それから数年後、国外に逃れていたカロル2世がルーマニアに帰国して王となる。しかし彼は独裁政治をし、女遊びに浸っていた。
そんな中、第二次世界大戦が勃発。ルーマニアもその影響を受け、ソ連からの圧力によってベッサラビアと北ブコヴィナの割譲を迫られる。しかしカロルはこれをあっさりと受け入れてしまった。さらにはドイツ主導の第二次ウィーン裁定によってトランシルヴァニア北部をハンガリー王国に割譲し、さらにはクラヨーヴァ条約によって南ドブロジャをブルガリア王国に割譲することになり、カロルはこれらの領土割譲に無関心だったため国民の不満は爆発した。
その結果、アントネスクは極右団体・鉄衛団と組んでクーデターを決行。カロルはポルトガルへと逃亡し、カロルの長男・ミハイ1世が国王に就任した。しかし権力は、国民投票によって国家指導者に就任したアントネスクが握っていた。
アントネスク率いるルーマニアはドイツと親密になり、枢軸国に加盟。ちなみに、鉄衛団はアントネスクと仲違いして反乱を起こしたために鎮圧されている。
1941年、独ソ戦が勃発。ルーマニアもベッサラビアと北ブゴヴィナをソ連から奪還するべく、ドイツ率いる枢軸陣営としてイタリア王国、ハンガリー王国、スロヴァキア共和国、クロアチア独立国、フィンランド共和国と共に参戦。当初、枢軸陣営は快進撃を続けており、ルーマニアも失地奪還に成功。しかし、スターリングラード攻防戦にて敗北したために攻守が逆転し、ソ連軍はルーマニアに迫り、ヤシ=キシナウ攻防戦にてルーマニア軍は敗北。
その後、ミハイ1世によるクーデターが決行され、アントネスクは失脚。ミハイ率いるルーマニアはソ連を含めた連合国と講和し、後に連合国として枢軸国を相手に交戦。その後、第二次世界大戦は連合国の勝利となった。ちなみに、ソ連により強制連行された13万人ものルーマニア兵捕虜は行方不明になるなどした。
その間、ルーマニアはソ連軍による進駐によって赤化した。そして大戦終結の翌年である1946年、ソ連はアントネスクをルーマニアの共産傀儡政権に引き渡し、彼を戦犯として処刑した。
評価
2024年現在のルーマニアでは、アントネスクはホロコーストに加担したために批判をされる一方、自国をソ連による脅威から守ろうとした事は称賛されるため、評価が二分している。