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小少将

こしょうしょう

小少将(生年不詳 - 天正元年8月26日(1573年9月22日)?)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。越前国の大名朝倉義景の側室。
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生涯編集

朝倉氏の家臣斎藤兵部少輔の娘。兄弟に斎藤新三郎がいる。『朝倉始末記』などの軍記物では「小少将」「小将」「少将」と名前がまちまちであるが、一乗谷朝倉氏遺跡の朝倉義景館外濠から出土された付札木簡には「少将」「少しやう」と書かれていることから、女房名は「少将」が正しいと考えられている。また、諏訪館に住んだことから「諏訪殿」とも呼ばれる。

義景の嫡男阿君丸が永禄11年(1568年)6月25日に死亡(毒殺の疑いがある)した後、側室になったと伝えられ、元亀元年(1570年)に愛王丸を生んだ。天正元年(1573年)8月、義景が刀根坂の戦いに敗れ、一乗谷を放棄して大野郡へ落ち延びるとこれに随う。朝倉景鏡の裏切りにより義景が自害した後、愛王丸、光徳院(義景母)とともに捕らえられ、8月26日、織田信長の命を受けた丹羽長秀の手により、南条郡帰りの里付近で殺害された。


ただし『越州軍記』には愛王丸と光徳院が害されたとは記されているが、小少将の名はなく、生存説もある。更に、彼女のことかは不明だが、岐阜県御嵩町の願興寺には、義景の妾が寺の別当を頼って落ち延び、その後義景の遺児を出産したという言い伝えがある。



創作物上の扱い編集

戦国大戦編集

夫である義景とともに朝倉家の武将として参戦。

二つ名は「一条谷の妖星」。

朝倉家特有の顔を覆うものは目隠し。


見出し画像は戦国大戦のイラストがモデルになっており、二つ名に違わない妖艶な姿をしている。

台詞も『ふふ……存分に楽しんでいいわ』(開戦前)や、『本当のお楽しみは、これから……』(虎口攻め成功字時)など、色っぽいのが特徴。


スペックは、コスト1 武力1/統率5の弓足軽で、特技は「防柵」と「魅力」。

攻撃面での戦果は期待できないが、防御時の射撃による攻城妨害・「気合」特技の回復妨害と、サポート面は結構優秀。


持ち計略の「鳥篭の陣」(とりかごのじん)は、敵武将が一度入ると陣の範囲外へ出られなくなる陣形を展開するが、自身は動けなくなってしまう。

範囲が広めなため完璧に封じ込めることはできないが、その分多くの敵軍武将を閉じ込めやすい。

兵力がわずかの敵武将を確実に処理したり、防御に回ろうとした敵武将を捕まえて攻城を有利にするなど、用途が非常に多彩。


「早く私のところへ戻っておいで……」


細川持隆、長宗我部元親編集

詳しくは此方→小少将(四国勢)

戦国大戦では「細川夫人」という統一名称で長宗我部家の武将として参戦している。

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