印牧能信
かねまきよしのぶ
生年……不明
没年……天正元年(1573年)
出身地……越前国(現在の福井県東部)と思われるが実際の所は不明。
印牧氏は代々越前・朝倉家に仕えた重臣であり、また剣術家の富田勢源 が広めた「中条流」の剣術を伝える武門の家柄でもあった。故に、能信自身もその「中条流」の剣術を体得していたと思われる。また北条氏 の剣術指南役となり、宮本武蔵と対決した佐々木小次郎の師匠と言われる剣術家鐘捲自斎 も、この印牧氏の一族だと言われている。
織田信長による越前侵攻の一つ、1573(天正元)年の刀禰坂の戦い以前の事は一切不明。
その刀禰坂の戦いでは能信は織田信長自らが率いた織田軍に対して奮戦を展開し、少なからぬ被害を出したものの、力尽きて捕虜になるに到った。尚、この戦いで山崎吉家、斎藤龍興(「美濃の蝮」こと斎藤道三の孫であり、斎藤義龍の息子である人物)、河合吉統といった、朝倉家の名立たる家臣が戦場の露と消えている。
信長は能信の武勇と名を惜しみ、許す事にしたが能信本人は武士の意地を通す為かこれを拒否して、信長の面前で自害した。
戦国大戦
刀禰坂の戦いでの事実でしか出てこなかった武将ゆえか、「信長の野望」といった歴史シミュレーションゲーム等の出演経験が皆無で、マイナーな印象の彼であるが、「戦国大戦 ~1570魔王上洛す~」において朝倉家の一員として登場。髑髏の面を装着しているイラストが印象的。
特技は無いものの、コストは1で武力2、統率5と安定した能力値で、序盤の伏兵暴き等で活躍が見出せる。
彼の所持計略である「残兵譲渡」は範囲内で最も高い武力を持つ味方の兵力を最大兵力を越えて回復させるというもの(最高値の200%まで回復させる事が可能)で、その効果は能信自身の兵力が多いほど大きくなる。が、発動後は能信自身が撤退するという、一種の自滅要素も備わっている。
使い道としては特に基礎兵力が少なく、主にぶつかり合う事が仕事の騎馬兵に使うと高い費用対効果を得る事が出来る。
他にも大筒や敵軍攻城、敵の虎口に味方を押しこみたい時や、自軍の防衛時に壁を構成して守りたい場面等での主力武将の兵力にあと一押しが欲しい状況、また味方に「次第に兵力が減る強化計略」持ちの武将(森可成の「攻めの三左」、明智光秀の「無間射撃」等)や兵力の減少に伴って武力が上がる計略(織田信長(戦国数寄の方)の「火事場のクソ力」、本多忠勝の「無謀なる武」、鈴木重泰の「怒りの銃弾」等)に「残兵譲渡」をかけ、攻撃を続行させるという手も可能。
但しコスト1とはいえ、計略を使う事によって攻守に重要な部隊が一部隊欠けるというのは少なからぬリスクがある事や、使う場面が能信自身が兵力を温存している状況、つまりは殆ど仕事をしていない状況でしか効果が大きく出ないという欠点もある事に注意。
使い所がかなり限られる、玄人並みのカードと言えよう。
『忠義は貫く。それが俺の性分でな。』