概要
伊豆討ち入りの後、伊勢宗瑞は足利茶々丸が死んだ影響で伊豆の統一を成し遂げる。
そんな中当時関東では1487年以降山内上杉氏と扇谷上杉氏が同族同士で争う内乱が生じていた。この内乱は関東全域やその周辺諸国を巻き込むほどの大乱となり、関東周辺の大名はそれぞれ山内陣営と扇谷陣営に分かれて争っていた。これを長享の乱という。
宗瑞率いる韮山伊勢氏は扇谷陣営に属していた。(伊豆の隣国である相模が扇谷上杉氏の領国であったから)
1496年7月、山内上杉顕定は扇谷上杉氏の相模西郡に侵攻し小田原城を攻撃した。当時小田原城では、城主である大森藤頼や、韮山伊勢氏の援軍として宗瑞の弟伊勢盛興などが防衛していた。しかし、結果的に藤頼は寝返り山内上杉氏に従属した。
こうして扇谷領と伊勢領が分断されてしまったが、そこで宗瑞は扇谷上杉朝良の許可を得て大森軍が籠る小田原城を攻撃し、攻略する。
こうして宗瑞は相模へと進出した。