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概要編集

島田珠代とは、吉本興業所属のお笑い芸人である。

激しい下ネタや珍妙なダンスなど「女を捨てた」芸風が特徴で、渥美清に似た顔からブスいじりも定番だが、本人は「ウケるのが快感」とのことで容姿について言われることは気にしておらず、自分からもネタにしている。


来歴編集

1970年〈昭和45年〉5月10日生まれ。大阪府吹田市出身。


大阪成蹊女子高校在学中、TV番組『4時ですよーだ』などの素人参加コーナーに出演したのがきっかけで、17歳でピン芸人として吉本入り。芸歴としては大阪NSC6期生と同期扱い。

近所ではちょっとした有名人だったらしく、当時近隣に住んでおり後に新喜劇座長となるすっちーはある日突然テレビに出ているのを見て驚いたという。


1989年に吉本新喜劇に入団。同時期に入団した今田耕司東野幸治から壁に放り投げられる芸風で人気を博し、吉本新喜劇の活性化と知名度向上に貢献した。


22歳の若さで『笑っていいとも!』金曜日レギュラーを獲得、1997年には『超!よしもと新喜劇』に出演し、山田花子と共に全国的に名前を知られるようになった。

吉本興業東京本社の社員(当時)の男性と結婚したことを期に1998年から東京に活動拠点を移し、ルミネ新喜劇で活躍するが、2005年に離婚し大阪に戻る。


2020年には相席食堂で披露したパンティーテックスのネタをきっかけに全国的な再ブレイクを果たし、2024年には新喜劇65周年を記念して「吉本新喜劇の顔」に選ばれた。


人物編集

私生活ではバツ2。2人目の夫との間に娘が1人いる。

2回目の離婚の経緯については、2024年になって初めて詳しく語っている。

2008年に娘が生まれるが、まもなく夫のガンが発覚し、余命5年という宣告を受ける。娘が3歳の時に夫が体調を考慮して名古屋の実家に帰ることになり、珠代本人も大阪で仕事を続けながら娘を育てたいと考えたが、夫から「自分から娘を取ったらもう生きていけない」と言われ、泣く泣く親権を夫に渡す形で離婚した。

その後、月に数回珠代が会いに行く形で親子の交流を10年ほど続けていたが、元夫が亡くなったため娘を引き取り、現在は大阪で母娘の生活を送っている。

なお、元夫の体調が悪化してからは、名古屋の家に珠代の実母が住み込む形で面倒を見ていたとのこと。


関連項目編集

芸人 コメディエンヌ

吉本興業 吉本新喜劇

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