概要
1969年9月2日生まれ。
清水商業高校から順天堂大学へ進学。年代別代表に選出された。
1992年に清水エスパルスに入団。左サイドバックとしてレギュラーをつかみ、1992年のJリーグカップでの清水エスパルス準優勝に貢献。当時の日本では珍しかったロングスローで話題を集め、CM出演もしている。 1993年も5月16日Jリーグ開幕戦でスタメン出場するなど25試合に出場したが、1994年以降は出場機会が減った。
1996年、コンサドーレ札幌へ移籍。ここでも出場機会を得られず、1996年末には地域リーグ決勝大会出場を控えていたアルビレオ新潟FC(のちのアルビレックス新潟)へ移籍。1998年にはJFLオールスターに選ばれた。この年限りで引退。
引退後、アルビレックス新潟のコーチを務め、2007年にはアルビレックス新潟シンガポール監督に就任。2008年、シンガポールリーグ年間最優秀コーチに選出された。
2011年より清水のユースコーチを務め、2014年にユース監督に就任した。2020年にはトップチームのコーチに就任した。
2020年11月1日、契約を解除されたピーター・クラモフスキーの後任として清水の監督に就任した。
2021年はミゲル・アンヘル・ロティーナの監督就任に伴いコーチに戻ったが、11月4日にロティーナが契約を解除されたことで再び清水の監督に就任した。
2022年5月30日、契約解除をしたことを発表。
2023年、アルビレックス新潟アカデミーダイレクターに就任した。