概要
プロフィール
時代 | 江戸時代中期ー後期 |
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生誕 | 延享2年6月16日(1745年7月15日) |
死没 | 文政6年4月4日(1823年5月14日) |
官位 | 従一位、准大臣 |
主君 | 桜町天皇→桃園天皇→後桜町天皇→後桃園天皇→光格天皇 |
氏族 | 広橋家 |
父母 | 父:広橋勝胤、母:成瀬正幸の娘 |
兄弟 | 伊光、益良、賢子、喜子、日野資枝室、烏丸光祖後に藪季庸室、綱子 |
妻 | 黒田継高の娘 |
子 | 胤定、光棣、時雍、信敬、俊康、光度、五条為徳室、光子 |
経歴
延享3年(1746年)に従五位下、後に侍従、弁官(右少弁・左少弁・左中弁・右大弁)、蔵人となり明和5年(1768年)に左大弁、参議となる、翌年の明和6年(1769年)に従三位、権中納言、安永6年(1775年)に権大納言となるが天明2年(1782年)に辞任、寛政5年(1793年)の尊号一件では議奏を任じていたため参朝停止処分を受けた、享和元年(1801年)に権大納言に再任、享和3年(1803年)に武家伝奏、文化9年(1812年)に従一位、翌年の文化10年(1813年)に准大臣となる。