真田幸村(真田信繁)の幼名。
「弁」名義の書状は、天正10年(1582年)、木曾義昌のもとに抑留されていた時のものと、天正13年(1585年)上杉景勝の人質ながら、1000貫文の領主になった時のものが残っている。
つまり、1585年まで幼名を名乗っていたわけだが、元服は数え15歳前後が普通である。幸村は通説では永禄10年(1567年)生まれだが、幼名を名乗っていた期間から推測して、実際の生年はもっと若く、1570年 - 1572年程度という説が出されている。
弁丸(戦国BASARA)
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弁丸(BRAVE10)
本名「望月六郎」
海野六郎とカブってややこしいという理由から、幸村が自分の幼名を与えた。
幸村曰く「じぶんにとって六郎は(海野六郎)一人」