概要
この言葉は、慢心、ダメ、絶対と帰ろう、帰ればまた来られるからと言った名言のその先にある言葉である。
たとえどんなに警告をしても、個人の動きを強制することは出来ない以上、いつまでも犠牲は生まれてしまうのである。
捨て艦戦法であるなら悼(いた)みはないだろうが、本気で出撃し、大切な人を失った時、提督を壮絶な悼みが襲うだろう。
しかし、それは考え方次第である。
死亡した艦娘は、深海棲艦と化するという見解が多くを占めるが、
何も魂までもが飲み込まれるとは限らない。
もしかしたら、自分の死を悼んでいる提督の傍らで提督を心配しているのかも知れない。
この言葉の意味
人はどんなに言われたり体験しようとも、忘れてしまうことが出来る残酷な生き物である。
これが"忘れない"ではなく、忘れたくないとなった理由である。
しかし、もしかしたら教訓を死後も後世に語り継ぐという行為を促進する為に、人は忘れると言う能力を身に着けたのかもしれない。
提督によって遺してくれたものと教えてくれたことは異なるが、
彼女を愛し、思い続けていたなら、何かしら得るものはあるはずだ。
何故艦娘は死亡(ロスト)してしまうのか?
何故艦娘達は死亡(ロスト)し、二度と帰ってくることがないのかを考えたことはないだろうか?
彼女達は、武装を外してしまえば普通の人間になると公式での回答がある。
つまり、普通の人間が死んでも生き返るという事はあり得るのだろうか?ということである。
また、艦これのプロデューサー兼ゲームディレクターは、4Gamerのインタビューで次のように話している。
- 旧軍の要港があった街や、奮戦して壮烈に、あるいは誰も見ていないところで悲しく沈んでいった艦艇を何らかの形で紹介し、一瞬でもいいからみんなで共有できるようなものを作りたいというのが、そもそもの発端でした。
だから、そういう哀しみの史実や喪失感、もしくは痛みといったものを感じさせるプロトコルとして、ロストというのは当然の選択だったんです。
実際にブラウザゲームとして実装してみたら、多くの提督(「艦これ」プレイヤーのこと)から「ロストは珍しい」「やめて」とも言われたのですが、むしろそれ以外にどうやって表現するんだと。
- 実際、サービスイン初期は多くの提督から「課金アイテムでもいいので、失った艦を復活させてほしい」という要望をいただいていました。
でも、「艦これ」は哲学的にもシステム的にも、沈んだ船をサルベージする構造を持っていません。完全なロスト以外に、その喪失感を感じてもらう方法がないからです。
奮戦し、悲しく沈んでいった艦を忘れずにいたいというのも艦これの重要な思想の一つの為、
どうあがいても復活させることやロストを不可能にすることは出来ない。
厳しい言動ではあるが、艦娘が亡くなった場合、私達は彼女の死を受け入れるしかすべはない。
余談
第二次世界大戦時の軍人達は、死にたくないという気持ちはなかったのか?
という疑問が生じたことがあるだろうか?
あの時代を生きていた軍人にとっては、自分の命よりもお国の役にたつという事が重要視されていた。
そんな思想があったからこそ、人が確実に死ぬ『神風特攻隊』や『人間魚雷"回天"』なるものが存在したのだ。
その時代を生きた艦艇を擬人化している艦娘もまた、その思想を持っている可能性が高い。
その為、自分が死ぬと解ってても、死ぬことを受け入れているのかも知れない。
最後に
公式では、『艦これは出来るだけ自由にやっていただきたい』との見解を示している為、
これらの記述に強制と確信性はないが、艦娘は何故死亡してしまうのか、
亡くなった後、故人をどう想えばいいのかの参考になれば幸いです。
どんなに犠牲を払っても、実績が認められるのはごくわずかな人数で、かつ失うことがあるようなゲームであるからこそ、最も大事なことに気付きやすいです。
一番大事なことは、生きて終戦を迎えることということを忘れないでください。
大事なのは、彼らの死を無駄にしないことだ
―『永遠の0』より