曖昧さ回避
- 漫画『めだかボックス』に登場する組織の名称。⇒悪平等(めだかボックス)
概要
何もかも一律に平等に扱ったり、形の上だけ平等にするなどにより、闘争心や競争意識の低下による向上心の欠如等々、「平等を求め過ぎた結果、却って悪影響を及ぼし逆に不公平になってしまい兼ねない間違った平等」である。
「実害」レベルの損をする実態になる点に関しては「不平等」と似た様に見えるが、不平等は悪影響を受けた側本人の努力次第等によっては、ある程度救済が見込める可能性があるのに対し、悪平等の場合はその努力さえも意味をなさなくなってしまう傾向が強い為、本質的には「不平等」なのだが立場の弱い人間からは「平等」に見えてしまうという性質の悪さがあると見えなくもない。
確かに平等は重要かもしれないが、機会だけでなく結果まで平等にしてしまうと、目標を持って真剣に頑張っていた人の努力が無意味になってしまい、報われなくなってしまう。
つまり「機会の平等」と「結果の平等」を一緒くたにしてしまうのは良くないのである。
例えば学校教育において、徒競走に全員同時にゴールしたり、学芸会で主役が大勢なのが典型的な悪平等であろう。
クイズ番組等において、1人の参加者が「自己の実力と日頃の努力」で圧倒的な点数を獲得したにも拘らず、突如「最終問題に正解出来れば、別の参加者も点数差に関係無く逆転優勝が出来る」滅茶苦茶なルールも、悪平等と見るべきであろう(ただし、圧倒的な点数差がある場合は「塩試合になれば視聴者が途中で見るのを止める」 などの都合があるため、幾分か仕方がない面もある)。
会社の社員で例えるなら、「次々と業績を叩き出し必要ならば自主的に残業もするバリバリ優秀な社員」と「ロクに業績も出さず勤務時間も最低限以下のダメ社員」の2人が、全く同じ額の給料を貰えば正に悪平等となるだろう。
野球やサッカーなどのスポーツの試合においても、試合に負けたチームがそれに同情した観客達から熱烈な応援をされて、試合後もその努力を称えて盛大な拍手をされたのに対し、逆に勝ったチームの方は観客から全く称賛をされない所か、無視する様な対応をされてしまうケースが稀にある。このような判官贔屓的な展開も、やはり悪平等に繋がるように見えるだろう。
また、同じ「結果」を得られる様にするために、特定の対象を意図的に贔屓する様なやり方をしてしまうのも「『不公平』の伴った悪平等」となる。
アメリカ合衆国においても、特定の大学で行われた入試にて、社会的に恵まれていない人種だけの合格率を意図的に引き上げてしまい、逆にそうでない人種の合格率は意図的に下げてしまった結果、当然後者の人種達から「逆差別」として多大な反感を買い、優遇された人種への差別感情をかえって悪化させてしまう等、大きな社会問題に発展してしまっている。
関連タグ
フィフスセクター:ある意味体現した組織の実例。
栗木ロナウド:彼自身は「全ての人々が等しく支え合う=平等主義の世界」 を目指していたが、最終決戦で『平等主義の問題=非戦闘員も戦場に立たなければならない(=悪平等)』現実 を突き付けられてしまう。