「愛」とは―
なお、本稿で述べる「愛」を向ける対象は生物・無生物を問わないものとする。
※「愛」の表し方は千差万別であり、本稿で述べる事は一つの事柄として参考に留めてほしい
概要
さっくりまとめると「愛」は―
〝無報酬も厭わず、無条件に「何か」へ尽くしたい感情〟
といった表現になるだろうか。そして「愛」という感情から、どのような力(パワー)が生まれるのか。結論は【未知数】で、うまく表現しきれない事象が発生すると推察される。
精神的に
「愛」が行動の原動力になると、これは【強く「何か」へ尽くしたい感情】なので、上限はなく無尽蔵に近いと思える力へ変換される。だが「愛」を有する「知性」を持った生物によって、その力は差異があるものの、自己に生まれた感情を幾つもの行動理由とするため、侮れないものがある。
例として「異性愛」「家族愛」「全性愛」「慈愛」「信愛」「敬愛」など、対象に相対して『■■愛』と付く「何か」へ向けた力は無限とも思える予感・力を生じさせる。また多くは「尊い」「美しい」という相乗効果を生み出しやすいのも特徴だろう。
生物的に
「愛」という感情が生まれると、生理学的に「オキシトシン」というホルモンが発生する。これは別名「幸せホルモン」、「愛情ホルモン」と言い換えられる。
主に対象を愛おしく思い、守ろうとする感情、集中力を得るといった効果がある。他にも恐怖心、闘争心を弱め、相手を信頼する感情を引き起こすともされる。加えて社会帰属意識を強める効果があると考えられている。
例として体内では子宮を収縮、血行促進を促すなどの効果がある。つまり、そういう事とかが行われる際にも、ドバドバと作られるホルモンである。
なお、この行為に限らず「愛」を抱く対象と、何かしらな〝触れ合い〟によって分泌される幸福感(オキシトシン)であると言われる。
善い事?悪い事?
「愛」に纏わる力自体に、善い事や悪い事はなく、ただあるのは【純粋に対象へ向けた感情・行動】があるだけと考えられる。その愛情表現が行われた結果によって善悪の概念が発生すると考察される(※冒頭でも触れたように、これは1つの参考として留めてほしい)。
「愛」を原動力にする力は、いわゆる善悪二元論では語れない領域。善の世界にも、悪の世界にも、各々で存在する力の一つが「愛」から生じる行動力(力)であり、例えば「愛の告白」「無償の愛」は清く感じるとか、当人以外の者からみれば「歪んだ愛情」「狂愛」と感じて邪な印象を持ちやすい。だが、これらに共通するのが語句に含まれている「愛」なのである。
・・・と、ここまで解説したが閲覧者の中(特に、まだ「愛」を知らない者)には、言葉だけでは理解しづらいと感じるかもしれない。そんな歩合では表現しきれない曖昧さに「愛の力」への答えがない答えが隠れているのかも。
こんな不釣合があるからこそ、思いがけない未知数な行動力(力)が発生するのかもしれませんね。
改めると「愛」を由来にする力は一文ではまとめきれない「何か」があるのだろう。
関連項目
石破ラブラブ天驚拳...愛の力が為した技。