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敷田直人

しきたなおと

敷田直人とは、福岡県出身のプロ野球審判員。審判員袖番号は2010年までは2、2011年から3。通称「かっこいい審判」「卍」の敷田。
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概要編集

福岡県立八幡工業高等学校を卒業後、新日鐵君津に入社。新日鐵時代は下柳剛(元阪神タイガース等)、松中信彦福岡ソフトバンクホークス)らとチームメイトであった。捕手として3年間プレーしたが、目立った結果は残すことなく1992年限りで退部、同時に新日鐵も退社した。

その後1994年に歯医者の待合室で見たスポーツ新聞でセ・リーグ審判員公募の記事を見てセレクションに応募、合格した。その後ブリンクマン・フローミング審判学校を経て1996年からプロ野球審判員となり、2001年に一軍デビューする。

オールスターには2006年、クライマックスシリーズには2008年にそれぞれ出場している。

そして2012年についに日本シリーズ初出場を果たす。最終戦となった第6戦では球審を務め、敷田の代名詞である「」ポーズを大舞台で披露した。

「卍」コールの由来編集

見逃し三振をコールする際、「」のような気合の入った独特なポーズで行うことから、この二つ名で呼ばれるようになった。打者とは逆の方向に拳を突き出すため、左打者では「卍」、右打者では「卐」となる。

この卍コールを始めた理由だが、審判になってからしばらくは普通の動きをしていた。しかし野球に華を添えたいと思い、しっくりくるポーズを考えた結果が卍だったという。最初は左打者の見逃し三振だけだったが、思いのほか評判が良かったので、右打者でも出来るように練習したという。

普通審判は(誤審があった時を除いて)目立たない存在であるにもかかわらず、この卍コールのアクションのキレ、そのかっこよさから、口コミで野球ファンの人気を得て、選手からもそのポーズを真似されるほどの人気を得る。認知されるにしたがって「かっこいい審判」「卍の敷田」などとファンから呼ばれるようになる。その人気ぶりは、テレビでインタビューされたり、TVゲームのプロ野球スピリッツ2014において卍コールが完全に再現されるほどである。またチャリティー募金のユニフォームのオークションにおいても、下手な選手よりも高値がついたことからも、その人気ぶりが窺える。


ちなみに「央→卍」としても表される。これは某掲示板にて


央>投手のボールを見るために構えている状態

卍>あの決めポーズ


という書き込みがあったからである。

審判としての能力編集

卍コールが好評を得ていても、審判としての能力がなければ批判を受けてしまうが、敷田は審判としての能力も高い。誤審はほぼ無く、ジャッジも公平である。ただ年数回ほどゾーンが普段より狭くなると言われる他、2ストライクになると卍コールをしたい為か途端にゾーンが広くなるとも言われている。しかし基本的にはジャッジは公平であるし、2ストライクからのゾーン可変もあくまできわどいところが可変するだけであり、誰がた見てもボールの球がストライクになるなどの露骨な変化はしない。それが選手間で認知されたのか、抗議を受けることはない。

関連動画編集

敷田 卍コールインタビュー

プロ野球スピリッツ 公式PV

1:25より それにしても公式は敷田を映すあたり、あざといと言わざるを得ない。

関連タグ編集

プロ野球 審判員

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