概要
関東庇番衆寄騎。
初登場時は13歳で関東庇番の中で一番若い。
戦場では軍師のポジションであり、卑怯な行為を嫌う渋川義季に相手が卑怯な行為したと錯覚させてその怒りで戦闘力を向上させたり、女好きの岩松経家に女性が大勢いると教え、敵の本陣を襲撃させるなど、その人物の特性を上手く利用する戦術を張り巡らせる。また、時には渋川から制裁を受ける覚悟で彼の前で堂々と卑怯な戦術をとる事もある。
「庇番衆牛車旅」の最中の渋川を揶揄っているが彼のことは尊敬しており、女ヶ原の戦いで敗走するときもせめて彼を救出からと撤退を拒んでいた。
延元2年/建武4年(1337年)、元服後、「家長」を名乗る。朝廷(南朝)方の北畠顕家率いる大軍を鎌倉で迎え撃つため出陣、挟み撃ちにあって窮地に陥るが、顕家と呼応する軍勢のなかに宿敵・北条時行がいることに戦意をみなぎらせる。