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三浦時明(逃げ上手の若君)

みうらときあき

鎌倉時代末期の人物で、『逃げ上手の若君』の登場キャラクターの一人。ここでは史料上の三浦時明についてもあわせて解説する。
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概要(逃げ上手の若君)

関東庇番二番組衆。逆立った髪型で顎髭を生やしている。着物には蛸壺の柄があしらわれている。

井出沢で自分の陣営に北条泰家(逃げ上手の若君)が訪れ寝返るように説得された。

出世とはいえ関東庇番の中ではパシリ扱いの現状と北条泰家の巧みな話術による交渉を受け、関東庇番を裏切った。

北条時行により鎌倉に入ったあとには、時行との謁見にて重臣に名を連ねる。足利尊氏の鎌倉攻めに対しても防衛の要として弟の三浦八郎とともに箱根に陣取る。

しかし、尊氏重臣の高師泰により片腕を失い、瀕死の重症を受けたため、八郎を逃がした上で人影の少ない海岸で衰弱死した。


史実の時明

史料上では惣領の三浦時継とともに行動することが多い。鎌倉時代には得宗被官として活動し、後醍醐天皇の乱では笠置山攻めに時継と共に従軍、中先代の乱でも時行に寝返る際にも時継が一緒であった。

一方で単独での行動もあり、関東庇番にも時明一人の任命であった。

箱根での防衛戦は時継を差し置き総大将となり、鎌倉を防衛する大役を背負うも、足利軍に敗北。天正本「太平記」には懐島にて漁師の使用する壺の中で休息し、そのまま息を引き取ったという話が存在する。なんで?


余談だが、惣領の時継はというと、単身逃走し、熱田で足利方に捕らえられ、処刑された。時明に比べれば薄味な最期に見えるかもしれないが、時明の最期が濃すぎるだけである。


逃げ若時明=三浦時継?

逃げ上手の若君において、忘れ去られている人物がいる。そう、先述した三浦時継である。

彼がいない代わりに時明は惣領と庇番、二つの役割を請け負っているのである。後のハイスペック時明である。

単行本一巻分程度の活躍しかない割には役割が大きすぎるのが「逃げ若」の時明である。

ちなみに、時明が回想にて自身の息子を足利方に送るというエピソードがあったが、これは時継の息子高継と酷似した役割である。彼も尊氏の鎌倉攻めの際、尊氏についており、その後足利氏の関東勢力の要となっている。「逃げ若」の時明の息子が名前を伏せられているあたり、三浦高継が元ネタである可能性が高い。


三浦八郎とは結局誰なのか

「逃げ若」では時明の弟として活動している三浦八郎であるが、彼は高師直・師泰兄弟を暗殺した三浦八郎左衛門が元ネタである説が有力とされている。

彼は系譜上時明と兄弟だという記述はないが、高師泰との関係が箱根での戦いで少し描かれていたのを見るに妥当な予想であると言える。


関連タグ

逃げ上手の若君


宝治合戦:史実における鎌倉時代の三浦一族による謀反。時明の言う『先祖の代の裏切りと狼藉』はこの事件のことを指している可能性がある。下記の義村の直系の三浦氏はこの合戦で断絶しており、時明は彼の従兄弟の子孫にあたる。


三浦義村:史実における時明の曽祖父の従兄弟であり、同時に曾祖母の父にあたる人物。鎌倉幕府初期に影響力の強かった御家人であり、本作連載中に放送された『鎌倉殿の13人』における暗躍を考慮すると、上述の時明の台詞は、彼のことも指しているのかもしれない。

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