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概要編集

陽炎型駆逐艦5番艦。1938年6月30日起工、1939年4月19日進水。基準排水量2033トン。


太平洋戦争開戦時には、姉妹艦である「黒潮」と「親潮」、「早潮」、「夏潮」の4隻で第十五駆逐隊を結成し、1941年12月にダバオ、ホロ攻略作戦に参加した。1942年1月、メナド攻略作戦に参加し、以降、ケンダリー、アンボン、マカッサル、クーパンの各攻略作戦、ジャワ南方機動作戦に参加。だが同年2月9日、米潜水艦の雷撃により僚艦夏潮が沈没、第十五駆逐隊は早々に陽炎型3隻編制になった。


3月15日にスターリング湾を出港し、呉まで空母加賀を護衛した。4月にマニラ湾口封鎖作戦に参加後、5月10日、マニラを出港し呉まで空母翔鶴を護衛した。6月のミッドウェー海戦では第11航空戦隊の護衛任務に就いた。


8月からはガダルカナル島の戦いに参戦。第二水雷戦隊はソロモン方面へ進出、ガダルカナル島輸送に7回従事した。10月南太平洋海戦に参加、11月12-15日、第三次ソロモン海戦に参加した。18日、第二水雷戦隊各艦と分離してカビエンへ移動する。


最期編集

11月23日に、各駆逐隊から集められた駆逐艦5隻(春雨白露、磯波、早潮)でパプアニューギニアのラエへ向かったが、B-17爆撃機7機の攻撃を受け至近弾により浸水して左舷機械が使用不能となり、応急処置を実施した。左舷機械復旧により28ノットを発揮していたところ、一番主砲と艦橋間に直撃弾を受け、大火災となる。その後早潮は、白露の砲撃で魚雷が誘爆し沈没となった。


戦後の早潮編集

海上自衛隊のはやしお型潜水艦「はやしお」、はるしお型潜水艦「はやしお」に艦名が継承された。どちらも現在除籍されている。


主な登場作品編集

キスカ島撤退作戦に参加する駆逐艦として登場。史実ではキスカ島撤退作戦時にはすでに沈没している。

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