概要
1938年に松竹に入社。1944年、20歳年上の従兄・和田日出吉と結婚。マスコミの仕事に従事する夫の仕事の関係で夫妻とも満洲に渡った。終戦にあたって厳しい道中を乗り越えて帰国し、翌年の1947年松竹に復帰して女優業を再開した。
妖艶な悪女役が多かったが、終戦後の開放された世相の中では精彩を放つ存在となり、特に1949年の『青い山脈』での芸者役で毎日映画コンクール助演女優賞を受賞。妖艶な「ヴァンプ女優」として名を馳せた。
生涯にわたって350本以上の映画に出演した。
CM出演した女優第一号でもあり、ジュジュ化粧品では「マダム・ジュジュ」、三洋電機では「サンヨー夫人」として長年親しまれた。
ボランティア活動にも熱心で、1957年に群馬県にある「鐘の鳴る丘少年の家」の後援会長に就任。
1960年から銀座で社交的に必要な文化的教養、マナー、美容など全般を教えるフィニッシングスクールを開講する。
1990年6月13日、心不全のため死去。享年73(72歳没)。