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林下清志

はやししたきよし

日本の柔道整復師。ドキュメンタリー番組『痛快!ビッグダディ』へ出演し、注目される。タレント登録がされていない一般人であるが、本業の傍ら、その知名度を活かして自伝を出版し、各地のイベントに参加するなどタレントのような活動をしている。 通称「ビッグダディ」として親しまれているが、タレントのタモリから命名されたニックネームをもじって、「コダカラー・清志」という愛称に改名した。
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俺はこういう人間だ!それ以上でもそれ以下でもない!

 『痛快!ビッグダディ』の主人公である。身長157cm・体重73kg、柔道三段、得意は料理。ケンシロウスタイル(自分で袖を切落したトレーナーを着用)で頭はタオルを巻く格好が定番。 4度の結婚と4度の離婚を経て、番組上、5男13女の計18名の子供(元嫁12名、前嫁6名)がいる。盛岡3名、豊田1名、福岡1名、奄美大島2名、元嫁宅5名、前嫁宅6名(2014年3月時点)。


 岩手県山形村(現、久慈市山形町)で整骨院などで生計を立て8人の子供たち(4男4女)と暮らしていた。彼が36歳の頃、友人の保証人になって借金を背負ったことで嫌気がさした元妻が離婚し、子供を残し家を出てしまったためである。彼は男手ひとつで子供たちを育ててきたが、地元の高校が廃校となり、遠方の学校へ通わせるためには交通費などがかさみ彼の収入では不可能になったため、高校へ進学させることを諦めかけていた。そんな中、鹿児島県の奄美大島大和村では通学費補助が付き、生活費も格段に安く上がるとの情報を得て家族全員で移住することを決断し、問題を抱えながらも島で順調に生活していた。自給自足を目指して70坪の畑を借りたり、海で釣りなどして食料を一部賄っていた。

 1年後、元妻が林下家の奄美大島での暮らしぶりを放送で見て、突然三つ子を連れて遊びに来た。元妻は離婚後、故郷の愛知県春日井市で暮らして新聞販売所で働き、その間に出来た三つ子を育てていた。遊びに来た後いったんは愛知県に帰ったが、また突然彼に相談もなく、仕事を辞めて三つ子とともに移住してきて、奄美市で生活を始めた。彼は復縁はしないが4人とも面倒を見るということにしていたが、12番目の子供の誕生を折に正式に復縁した。100年に一度の大不況で次第に島での生活が苦しくなり、彼は生活費を稼ぐため、愛知県豊田市の接骨院へ出稼ぎに出た。しかし彼が子供を残し出稼ぎに行くことに不満を感じていた元妻は、三つ子と末娘(12番目の子供)を引き取り離婚、島を出て愛知県へ引越した。同時に奄美大島に残された子供達も、高校生2人(次男、三男)を除き接骨院の寮で清志らと合流。

 物語は第2章へ。その頃清志は、勤務先で知り合った18歳年下で5人の子持ちの女性美奈子と電撃再婚、豊田市でふたつの家族がひとつになった。数か月の生活を経て豊田市の寮が狭いなどの理由により奄美大島に帰ろうとしたが、女性週刊誌の記事[3]がきっかけで島民の合意が得られず断念、さらに漁師を目指した島根県隠岐への移住計画も失敗。紆余曲折の末子供2人(長女、長男)は寮に残し、香川県の小豆島に移住した。11人家族が生活するために古い一軒家を破格値の50万円で購入し、彼は借り店舗にて接骨院を開業した。そこへ妻美奈子との間に子供(九女)が誕生した。

小豆島移住後も元妻とは連絡を取り合っていたが、次女と三男(の親権)を引き取ると言い出して清志を激怒させ、美奈子は泣いて抗議するため、豊田に住む子供達と元妻の話題が家の中で自然とタブーになり、その後の別居生活にも繋がってしまう。お互い夫婦喧嘩を繰り返しながらやがて別々に住むことになり、妻美奈子らは小海の自宅に、清志らは接骨院の二階を借り増して暮らすこととなった。だが妻美奈子の息子だけは清志との同居を選んだ。

別居から4ヵ月後次女の保健室登校が始まり、思い悩んだ結果自らタブーを破り、妻美奈子の了解の下次女を豊田に住む元妻に会わせることを決断する。豊田で元妻と出張中に立ち寄った次男と話し合った結果、学校に通い続ける事を決めた。迷いが吹っ切れたかに見えた次女だったが、プレゼントで貰った豊田の子供達の写真立てにひびが入ってるのを発見し、憤慨しまたも塞ぎこんでしまう。

妻美奈子がパートの仕事の間子供達を預かってもらったり、清志の家に泊まりに行ったりしてなし崩し的に別居解消を試みたが、離婚を前提とした同居しか認められず、九女1歳の誕生日の二人での夜間ドライブ中別居解消を頼むも応じず、『別居しなければならないんだったら…島を出ようと思う』という発言に、清志から『お前が島を出たら、オレも出る』と返された。こうして結婚記念日[5]に正式に離婚が成立、接骨院は閉鎖し、お互い島を出てW移住をすることになった。清志組は四男の高校進学に伴い、岩手県盛岡市に移住。道中子供達は豊田に立ち寄り元妻と2年ぶりに再会、移住翌日には全員で故郷の山形町へ7年ぶりに里帰りした。清志は就職活動するも上手く行かず、借り自宅にて接骨院を開いた。一方、美奈子組は宮崎県日南市に移住。美奈子の息子も父か母か迷った末母を選び、清志との子は美奈子が引き取り、美奈子は移住後居酒屋にバイトについた。清志は駅から近いという立地条件もあり接骨院が軌道に乗ったが、小豆島から盛岡に移住した際唯一高校へ編入しなかった次女の就職活動が難航。その際自身も横浜への移住を決めた元妻が環境を変えて出直す良い機会なのではと次女を預かることを提案、清志は盛岡に残り定時制高校に通う方が良いのではと考えていたが、次女は悩んだ末元妻を選んだ。 お盆には元妻、三つ子と末娘を連れ盛岡に戻り清志達と再会、美奈子との結婚以来会うことを封印していた清志とは3年ぶりの再会となった。7年ぶり地元岩手で長女を除く一家が集結、総勢13人で山形町の清志の実家に里帰りした。

 番組の最後にはそれぞれの近況が伝えられた。清志は接骨院を完全予約制に変更しこれからも営んでいく。長女は元妻の移住後いずれかの時期に歯科医院を辞めて横浜移住の方向でいる。次男は国家試験に受かり、三女は奄美の高校を受験することに伴い次女は同じ高校へ入り直す決断をした。元妻は離婚後愛知県のラーメン店でバイトをしていたが、子育てをしているので待遇面で正社員を希望しており、またラーメン店独立目標とし横浜のラーメン店でバイトとして修行することとなった。清志が来店しラーメンを食べ元妻が頑張っている姿を見届けた。 移住ドラマの上では、ビッグダディは岩手県山形→奄美大島→愛知県豊田→小豆島→岩手県盛岡とさすらい、7年間にわたる総移動距離は5,720kmにも及ぶ。


関連イラストを見せたいのならそうしろ!そう思ったのならそうしろってまで俺はもう言う!

キヨシ・ジョバーナ
ビックダディ



さらにその後・・・




















ビッグダディはその後2014年と2015年の2度再婚した。(どちらも離婚)

2014年10月、盛岡市の仕事場兼自宅が全焼火災で焼け出され、東京でリラクゼーショ­ン店を開業。

2016年、沖縄県へ引越し、飲食店を開業したが2019年3月に閉店、再度東京でリラクゼーショ­ン店と居酒屋の店長をしている。

三女・林下詩美は高校卒業後飲食の仕事をしながら妹たちの学費を工面、払い終えたのち女子プロレス団体『スターダム』のプロテストを受験して入門、2018年8月にデビューした。

元妻・美奈子は2013年5月に自伝『ハダカの美奈子』を出版、同年11月には映画化もされた。

同年7月からタレント活動を開始。エースクルー・エンタテインメント⇒カロスエンターテイメントを経てフリー。2015年5月、元プロレスラーの佐々木義人と婚姻、更に2人を設けた。

しかし2023年に自身のYoutubeチャンネルで離婚協議を進めていることを明かした

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