林崎甚助
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はやしざきじんすけ
戦国時代から江戸初期の剣豪・武芸者であり、抜刀術(居合い)の始祖としてしられる。
林崎甚助重信:生年不詳(天文11年(1542年)?) - 元和3年(1621年)
抜刀術と武道を組み合わせた居合の始祖とされている。
彼の死後、その流派は「神夢想林崎流」「林崎流」「林崎夢想流」と呼ばれるようになった。
山形県村山市にある「林崎居合神社」(公式サイト)は、仇討ちの帰途に神託により太刀を奉納した林崎明神に起源を持ち、現在は「居合道発祥の地」として「居合道の始祖」林崎甚助本人も祀られている。
浅野数馬源重治の子として出羽国楯山林崎(現在の山形県村山市林崎)に生まれた。幼名は民治丸。
1547年、父は楯岡(最上)満英に仕えていたが坂一雲斎(坂上主膳)に恨まれ、碁打ちから帰宅中を闇討ちされ、妻・菅野と幼い民治丸を残して死んだ。
1554年、仇討ちの成就を熊野明神に祈願参籠し、楯岡城の武芸師範・東根刑部太夫の門下に入り修行に励む。
1556年、夢で熊野明神より抜刀の秘術「卍抜」を授けられた。
1559年、元服して「林崎甚助源重信」を名乗り、仇討ちの旅に出る。
1561年、京都で坂一雲斎を討つ。
1562年、母の死をきっかけに諸国を廻国修行し、自らが編み出した抜刀術を多くの門人に伝えた。その中で、加藤清正に招かれ彼の家臣を指南したとも伝えられる。
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