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概要編集

モルドバ東部、ウクライナ国境を接するドニエストル川東岸の地域

モルドバが領有権を主張している地域であり、日本を含めて当国を承認していない国はモルドバ共和国東部のトランスニストリア地域としているものの、実態としては(ロシアウクライナの支援もあり)モルドバ政府の実行支配が及ばず、事実上独立状態にある。


歴史編集

沿ドニエストルにあたる地域には1924年からモルダビアASSRが存在した。これはモルドバ人が住むベッサラビア全体をルーマニアから奪回する布石として設立され、ソ連のショーウィンドウとするため、ロシアSSRやウクライナSSRからも多くの技術者を送り込み工業化を推し進めた。1940年にはベッサラビアが返還され、両者合わせたモルドバSSRが設立された。しかし、ベッサラビア側は農業が相変わらず主体であり、白ロシアSSR(ベラルーシ)共々ソ連の組み立て工場として順調に発展する旧モルダビアASSR側との格差は大きくなる一方だった。

1990年からモルドバ独立の機運が高まるにつれ、ソ連の組み立て工場としての現状維持を望む旧モルダビアASSRとの対立は激化、モルドバからの分離独立とソ連への独自加盟を掲げ沿ドニエストル・ソビエト社会主義共和国の建国を宣言し戦争となる。最終的に沿ドニエストルが勝利し事実上の独立状態となったが、その間にソ連が崩壊してしまい、ロシア連邦への加盟へ目標を変更することとなった。


今なおベラルーシと並んでソ連色が強い一方で、近年ロマノフ家の当主争いに関して大統領令を出して介入したり、ロマノフ家爵位や栄典を認めるなどかつてのロシア帝室とも急接近している。近年増加している同国の君主制支持者は沿ドニエストルの民間旗(鎌と槌がない)とロシア帝国の紋章を組み合わせた旗を使っており、この旗の国旗採用を目論んでいるという。近年の沿ドニエストルはソ連とロシア帝国の組み合わせという一見して奇妙な雰囲気である。

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