概要
東京都立瑞沢高等学校の競技かるた部。
競技かるた部のなかった瑞沢高校で主人公の綾瀬千早が真島太一らと共に立ち上げた。
初期メンバーは前述の二人とかなちゃんこと大江奏、肉まんくんこと西田優征、机くんこと駒野勉の5人で顧問は化学教諭の「女帝」こと宮内妙子。部長は太一、キャプテンは千早が務めることとなった。
肩書きこそキャプテンと銘打っておりエースの実力を持ってはいるが、団体戦選手としては周囲を見渡す意識がない千早に代わり、部長の太一が実質的なキャプテンを務めていた。瑞沢高校はこのエースと事実上のキャプテンの2人を二枚看板とし、A級選手の肉まんくんまでが不動のレギュラーで、以下は状況によってメンバーチェンジを行って試合に臨んでいた。
囲碁や将棋にも詳しい机くんの発案で「感想戦」を行う等練習の質を向上させる努力が実を結び、設立の時点で実力者揃いだったとはいえ専門的な指導者が不在であるにもかかわらず部員の力量の底上げを果たしている。
余談ながら、幼少期から言い訳を許さない環境で育てられた太一の提案により男子部員は「でも」「だって」使用禁止。
1年生時は創部初年度ながら強豪の北央学園を破って全国大会に出場するも、千早の体調不良もあって早々と姿を消した。
2年生時は花野菫、筑波秋博を迎えて上記のスタイルを確立、東京大会でこそ北央に敗れて準優勝に甘んじるものの、全国大会では静岡の富士崎高校を下して見事優勝を果たす。
3年生の初めに部長の太一が退部し、メンタルバランスを崩した千早も休部を余儀なくされる。
田丸翠、原美紅、橋立蒼太、波田橙吾と新戦力を得、千早も復帰はしたが、精神的支柱である太一を失った影響は大きく、最終的にその役割を千早が引き継いだが力及ばず、準決勝で前年度に決勝を争った富士崎高校に惜敗した。(この年の優勝は北央学園)
千早等の引退後、筑波が部長に就任した。