田中稔
たなかみのる
器械体操とシュートボクシングを経験後、1993年にプロフェッショナルレスリング藤原組に入門。
1994年1月にマーク・アシュフォード戦でデビュー、翌月にリングス参戦。
1995年に格闘探偵団バトラーツ(2011年解散)の設立に参加、所属。
1999年4月に新日本プロレス東京ドーム大会初参戦、同年のベスト・オブ・ザ・スーパージュニアにも出場。
2000年6月に金本浩二とジュニア・スターズを結成し、IWGPジュニアタッグ王座を獲得。
同年10月にバトラーツを退団、高岩竜一のIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦し、第39代IWGPジュニアヘビー級王座初戴冠。
2001年1月に正式に新日本プロレス所属となり、同年6月のベスト・オブ・ザ・スーパージュニアVIIIで準優勝。
2002年2月、垣原賢人を下し、IWGPジュニアヘビー級王座に返り咲く。(2005年1月、タイガーマスクに敗れるまで、覆面レスラー時代を含めて連続防衛記録11回を記録。)
同年5月獣神サンダー・ライガーをパートナーに邪道・外道組を下しIWGPジュニアタッグ王座を獲得。
その後ゲームボーイアドバンス用ソフト『闘魂ヒート』(パシフィック・センチュリー・サイバーワークス・ジャパン)のゲームキャラクターから出た覆面レスラー「ヒート」に転身。
しかし2004年、マスクを脱ぎ素顔に戻る。この頃からライガーにヒール集団C.T.Uに勧誘されC.T.U入り。
2015年4月リングネームを「稔」に改名。
2006年6月、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアXIIIにおいて7日目にして初優勝。
同年12月、後楽園ホールにて金本浩二とタイトル戦を行い第51代IWGPジュニアヘビー級王座に返り咲く。(2007年7月、田口隆祐に敗れるまで4度防衛。)
2008年1月、プリンス・デヴィットをパートナーにし、ディック東郷&TAKAみちのくが所持するIWGPジュニアタッグに挑戦し勝利。第19代ジュニアタッグ王座につくも3か月で失う。
2009年1月14日、新日本プロレスとの契約を終了し、同年1月31日をもって退団。
以後、フリーで活動後、2011年~2013年まで全日本プロレス、後に[[]]らとWRESTLE-1に参加、2016年まで在籍。その後再びフリーで活動。
2011年10月にリングネームを本名に戻している。
2019年3月、原田大輔からFIRE BALLスプラッシュでピンフォール勝ちを奪い、GHCジュニアヘビー級王座初戴冠。
2002年1月18日、元プロレスラー・府川唯未(2001年引退)との婚約を発表、同年6月8日に挙式および結婚披露宴を行った。
現在2子がおり、娘の田中きずなが2022年4月にプロレスリングWAVEの記者会見にて入団発表、デビューは高校卒業してからの条件としたため、2023年4月2日に新宿FACEで行われたWAVE新宿FACE大会にて、プロレスリングWAVEよりデビューを飾った。
2021年現在はGLEAT所属。
2022年3月1日の新日本プロレス旗揚げ記念日(50周年)大会にてTAKAみちのく、タイチと組み、エル・ファンタズモ、石森太二、バッドラック・ファレ組と対戦